アドレス変更のお知らせ

管理人です。

この度、アドレスを変更いたしました。

新アドレスは以下の通りです。
http://sisai.masa-p.com/

http://seikazoku.net/
上記アドレスに関しましては前回の契約満了をもって契約終了とし、公開終了としております。

今後はmasa-p.comのアドレス内での運用となります。
実はデータも壊れておりサイト表示がうまくできていなかったのを
今回サーバー移転を機にデータベースを再度エクスポートを実施し修復しております。
今後とも司祭のひと言をよろしくお願い申し上げます。

サイトの趣旨

ベリオン神父様の「司祭のひと言」のサイトです。

ここではベリオン・ルイ神父様が以前カトリック福岡教区・カトリック黒崎教会に赴任中、
教会報「せいかぞく」に寄稿しておりました「司祭のひと言」を掲載するサイトでございます。

ベリオン神父様は2009年4月に1年間のサバティカルの後、
カトリック行橋教会に異動となりましたので、
ここのサイトでは2009年4月までの司祭のひと言までの掲載となります。

今後、第1号から2009年4月号までをゆっくりですが増やしていく所存でありますので
どうぞ読んでいただけるとうれしいです。
よろしくおねがいします。

また、現在のベリオン神父様の言葉はカトリック行橋教会ホームページで引き続きご覧頂けます。
http://www.yukuhasi.catholic.ne.jp/
「司祭館」→「司祭の手紙」よりお進みください。

※なお、ベリオン神父様には私が直接掲載許可を2011年7月に新たに取得をしております。

一旦停止(No.165)

私たちは間もなく聖週間に入り、イエスのこの地上での最後の夕食、受難と死、復活を記念する日々を迎えようとしています。その典礼を大切にし、その典礼を、日常生活を潤す泉にするようにと心からお勧めしたいと思います。その典礼は忙しい毎日の生活、「時」の流れの中で、「一旦停止」することを呼び掛けているのではないでしょうか。
 現代社会と世界を見ると思う事ですが私たち一人ひとりにとっても、人間として、キリスト者として生きる為にアクセルばかりではなく、ブレーキを踏む事、止まる事は必要です。高速道路には緊急停止のための車線があるように、私たちの生活の中でもそのような“空間”を作ることが最も大切なことだと思います。歩んだ道を振り返るため、どうして何のために自分が生きているのか、何に向かって走っているのかについて、自分の行き方を問い掛ける為、間を置いて静かにイエスを通して神は私たちに求めていることを再確認するためです。四旬節は“荒れ野”に退くように私たちを誘っていたように、聖週間も記念されることを静かに味わい黙想するように誘っています。どうか皆さん、神から私たちに与えられているその恵みの時を逃がさないように心掛けましょう。
私事で恐縮ですが数年も前から自分の司祭としての人生において「一旦停止」する必要性を感じ、司祭の生涯養成の一環として教会が定めているSABBATICAL.YEAR(安息の年)を司教様に御願いしたところそれは受け入れられました。そのために復活祭の祝日をもって黒崎教会から離れることになりました。その一年の間、まず休暇のため6年ぶりにフランスに帰り、日本に戻ってからはパリミッション会の八幡東区にある本部に住むようになります。40年の司祭生活を振り返り、聖書や神学などを勉強し、祈りながら命が与えられる限り、どう宣教師として生きて行けば良いのかという事について聖霊に導かれてゆっくりと考えてみたいと思います。
皆さんの日々の生活を思うと、自分が随分恵まれており、贅沢が許されていることは十分に分かっています。だから一年経ってから一層、神の民イエスキリストの共同体に奉仕することが出来るためにその時間を有意義に過ごし、宝のように大切にしたいと思います。
皆さん、14年間本当に大変お世話になりました。人生は一期一会の繰り返しですが、私にとってこの黒崎教会での14年間は皆さんのお蔭で人間として、司祭として幸せに満ちた日々でした。皆さん一人ひとりにお礼を申し上げ心から感謝致します。
不幸にして、私の不注意のために不愉快な思いをし、傷つけられた方がおられるとすれば、この場を借りて謹んでお赦しを乞い願います。
神の導きと支えのお蔭で福音を土台にして共に築き上げようとした黒崎の共同体は一層イエスキリストの豊かなものとなるために聖霊を祈りながら、この最後の「一言」をサインさせていただきます。
また会う日まで
2009年4月号
ベリオン・ルイ神父

神の命の息吹き(聖霊)のうちに生きる(No.164)

神の命の息吹き(聖霊)のうちに生きる_
-3月号-
どうしてか分かりませんが、先日久し振りにフランスの有名なコメディアンの30数年前の話が急に頭に浮かびました。
 小さな村に一人の外国人がやって来ました。お店を営んでいた村の人が彼を雇いました。
その外国人は性格が大人しく、仕事も真面目だったので、いつの間にか村の人々に受け入れられました。数年経ってから店の持ち主が亡くなり、彼は店を受け継ぐ事になりました。初めは評判も良く、村人とも相変わらず旨くいきました。
ところが村では自分達が“偉い”と思い込んでいた人達の態度ややり方に対して彼は批判の声を上げ始めた為、その“偉い”人達の反感を買ってしまいました。“偉い”人達は彼に対して偽りの噂を流したり、黙らせようとしたりしましたが、彼は譲らずそれに立ち向かった為、“偉い”人達が彼を村から追い出す運動を始めました。村の人々は彼に関する噂はデッチ上げだと分かっていましたが、“偉い”人達から白い目で見られる事を恐れて黙ってお店を利用しながらも彼と親しく接する事を控えました。次第に感情が激しくなり、とうとう村の“偉い”人達は「この“外国人”はフランス人のパンを食べている」(寄生虫)と訴え村を出て行くように追い詰めました。村で暮らす事が不可能になり、ある日彼は「フランス人のパンを食べているなんて、馬鹿げている」と憤慨しながら村を去って行きました。その日から村の人々はパンを食べる事が出来なくなりました。彼は村の唯一のパン屋さんだったからです。
 コメディアンの話し振りや仕草はとても滑稽で話を聞きながら本当に笑いが止まらないほどですが、結びの言葉が耳に入った途端、笑いは苦笑いに変わり、滑稽な話に実は真剣に考えるように誘う意味深い教訓が潜んでいる事が分かります。
その話を一つの“たとえ”として思ってみては如何でしょうか。
最後の晩餐の積で祈るうちにイエスはご自分の弟子について次ぎの事を仰いました。
「父よ、私は彼等に御言葉を伝えましたが、世は彼等を憎みました。私が世に属していないように彼らも世に属していないからです。私がお願いするのは、彼等を世から取り去る事ではなく、悪い者から守ってくださる事です」と。(ヨハネ17.14-15)
 イエスの弟子はイエスと福音を告げ知らせ、証する使命を帯びてその使命を果たす為に遣わされていますが(ヨハネ20.21)イエスに“属している”弟子はその為に“村”社会の“外の者”として見られ、その社会に向かって「NO」「違う」と言い出せば反感を買ってしまいます、イエスと同じように。しかし与えられた使命を果たす事を諦める訳にはいきません。
 その使命を果たす事はいかに重要な事かを表しているのはイエスに由来している堅信の秘跡です。3月29日初めて宮原司教様を迎えて黒崎の聖堂で堅信の秘跡が授けられる事になりました。その式の間に聖霊が送られるようにと祈りながら司教様は受聖者を握手し、額に聖香油で十字架のしるしをします。
 帆が風をはらみ船は安泰に航海する事が出来るように、神の命の息吹き(風)によって生かされる(ヨハネ20.22)人は神と共に社会の中でキリスト者として人生の道を歩む事が出来るようになります。キリスト者の人生の目的は身をもってイエスと福音を告げ知らせ証しする事です。しかしその為にはどうしても神(聖霊)の力が必要です。(使徒言行録2.1-12)
 その力を象徴的に表しているのは聖香油なのです。オリンピック大会の国ギリシャを始め、地中海沿岸の国々ではスポーツ選手にとってオリーブ油というものは欠かせないものでした。筋肉を和らげるマッサージの為、レスリングの場合は油を体に塗る事によって相手の技から逃れる為でした。
すなわち聖香油の背景には「闘う」イメージがあるという事です。キリスト者の「闘い」はイエスのように生きるため、自分に潜んでいる悪との闘い、殉教を含めてイエスと福音を告げ知らせ証しする為の闘い(努力)を指してます。
 3月29日天神町共同体から3名黒崎共同体から10名の方が堅信の秘跡を受けます。教会を訪れる青少年の少ない時代に堅信の秘跡を受ける中学生の為、そして共に祈り彼等を励まし支える意思を新たにする事はどれだけ大切な事かが分かると思います。堅信の秘跡は“儀式”で終われば本人達にとっても他にたくさんある一つの“行事”に過ぎないものになってしまいかねません。
 一年前からその日に向かって中学生達は準備を重ねてきました。ご家族の方だけではなく私達皆も共同体の未来である中学生に対して責任を感じ大いに関心を持つことを心掛けていただきたいと思います。それなしに司祭も修道士修道女も信徒のリーダーも誕生しないでしょう。
 イエスの死と復活を記念する日々に向かっての四旬節の間に堅信の秘跡が授けられる事は偶然の事ではなく、意味深い事だと思います。個人的にも共同体としても祈るうちに信仰を新たにし、自分も受けたその秘跡を通して与えられた使命を思い起こしながら3月29日を恵みの日として共に迎えたいと思います。
2009年3月号
ベリオン・ルイ神父

パウロ年(No.163)

子供の頃よくパズルを作りながら遊んできました。今と違って完成された状態のパズルの絵や写真がなかった為、全体像がわからないまま、バラバラだったピースを合わせるようにしていました。終わってからしか全体像が目に映りませんでした。その事を“たとえ”にして考えようとすれば、イエスに対して初代教会がされた事は分かり易くなるのではないかと思います。
イエスが復活して生きておられるという信仰の内に教会はイエスの言葉としるしを思い起こし、その事を「律法と預言者」と照らし合わせ、直面していた問題や置かれていた歴史的な状況_つまり様々な“ピース”を合わせてイエスが誰であるか、何の為に現れたのか教会の存在の意味と使命とは何か。キリストの弟子に要求される生き方などの事に対する理解を深め、それを教え最終的に書物の形でそれをまとめるようにしました。すなわちパウロの言葉を借りて言えば、教会は「神の秘められた計画」を読み取る事が出来るようになったと言う事です。“計画”という言葉は初めから全てが決まっておりプログラムされているという印象を与えかねないので、“神の秘められた思い”と訳したほうが望ましいかもしれません。“秘められた”それは隠されていたという意味ではありません。神はご自分の“思い”を隠した訳ではないからです。ただ人の目には神の“思い”の全体像がなかなか映らず、隠されていたかのように見えただけです。
神の“思い”とは人類を救い、解放し、自由にする事によって人を“幸いな者”にする事です。イエスの内に人となられる事によって、神はその“思い”を成し遂げました。
早くもそれを理解し、告げ知らせたのはイエスに“ぶつかって”から(使徒言行録9.3_5)のパウロでした。手紙の中でパウロは度々(コロサイの信徒への手紙1.27-4.5など)「神の秘められた計画」について語っている事を皆さんもご存知の通りです。
−そのパウロの事ですが−
パウロに対する評価は様々です。パウロをまるでキリスト教の“創立者”のように扱っている人がいればパウロはイエスの教えを“歪めた”と批判する人もいます。パウロが生きていればきっとこのような極端な評価に対して憤慨するでしょう。パウロが書いた事を正確に評価する為に“福音書”と“手紙”の違いを意識しなければなりません。福音書が書かれた目的とパウロが手紙を書いた理由は全く違っていますので、それを正しく把握しなければ色眼鏡で見る事になり、感情任せの解釈に成りかねません。
福音書は人が「イエスは神の子メシアであると信じる為、又信じてイエスの名により命を受ける為に」(ヨハネ20.31)書かれたものです。その為に教会の信仰の内にイエスご自身その教え、行い、生き方が見直され紹介されています。ところがパウロの手紙が書かれたのは誕生したばかりのキリストの共同体を励まし、導き、支え、必要な場合は咎める為です。
パウロが自分に「伝えられた事」(参照:第一コリントの信徒への手紙15.1_7など)を自分なりに、しかし勝れた形で伝えようとしています。パウロは福音、イエスとその教えに忠実に宣べ伝えた上で共同体が直面していた具体的な問題に答える為に手紙を書きました。誰よりもイエスの事を深く理解し、その教えの新しさと拡がりを察したパウロはたとえローマの信徒への手紙の中のように見事な“神学”を展開したとしても、決して博士号を取る為のような論文を書いたのではありません。彼が手紙を書いたのは、イエスの位置の唯一性を強調するためです。【私はあなた方の間でイエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外何も知るまいと心に決めた】と。(第一コリントの信徒への手紙2.2)
たとえ誕生したばかりのキリストの共同体にパウロは大きな影響を及ぼしたとしても、彼はキリスト教の“創立者”でもなければ、尚更イエスの教えを“歪めた”のでもありません。
「パウロ年」に当って、常にパウロから学ぶ事に励みたいと思います。
今月の27日から始まるも黙想会の間にその機会がまた私たちの共同体に与えられますので、是非それを逃がさないように心掛けましょう
2009年2月号
ベリオン・ルイ神父

求める心を養って(No.162)

船と共に海の底に沈没した宝から、失われた文明まで過去の遺物に魅了されている人は少なくありません。探検家と異なった理由でではありますがイエスキリストを信じる私たちも今日を照らすため、明日を方向付けるために過去から学ぶように心掛けています。
2009年という新しい年を迎えるに当って教会の二千年の歴史という宝箱から光沢の美しい真珠を一つ皆さんの目に輝かせたいと思います。それは聖アンセルモ(1033年〜1109年)司教の次の言葉です。「卑小な人よ、今暫くの間自分の職務を離れ喧騒を極める思いからしばし身を引け。今は重荷となっている杞憂を忘れ、心を乱す業務の履行を延期せよ。暫くの間、神のために時間を割き、しばし神のうちに憩え。あなたの精神の個室に入り、神と神を求める為に助けとなるもの以外は全てを排除し戸を閉めて、神を求めよ。今こそ私の心よ、神に語れ。
主よ私はあなたの御顔を求めます。今こそ主なる私の神よ、何処でどのようにしてあなたを求め、何処でどのようにしてあなたを見出したらよいのか私の心にお教えください。・・・
主よ私の神よ、私はあなたを一度も仰ぎ見たことはなく、あなたの御顔を知りません。至高の主よ、あなたより遠く離れ、追放の身にある私は何をしたらよいのですか。・・・
あなたを仰ぎ見ることをひたすら願いますが、あなたの御顔はあまりにも遠く離れています。あなたに近づくことを望みますがあなたの居所を知りません。あなたを求める心は逸りますがあなたの御顔を知りません。・・・
主よ私たちを顧み、耳を傾け、光を照らし、私たちにあなた御自信を現して下さい。あなたなしではあまりに不幸な私たちが幸福になれるように和解の手を差し伸べて下さい。あなたなしでは何事も出来ない私たちのあなたへ向かう労苦と努力に憐れみを重ねて下さい。あなたを求める事を私に教え、求める私にあなたを現して下さい。
あなたが教えて下さらなければ、あなたを求める事が出来ず、あなたが現して下さらなければ、あなたを見出す事も出来ません。渇望しつつあなたを求め、求めながらあなたを渇望しますように。愛する事のうちにあなたを見出し、見出してあなたを愛しますように。」
2009年の間この聖アンセルモの祈りは私たち一人ひとり、更に私たちの共同体の信仰の歩みを照らす事が出来るように祈ります。つい自分の背丈に合う神を作り上げている私たち、想像と無知のため神をまるで偶像に変えてしまう私たちは、イエスキリストの父である神を求め続ける事の大切さを新たに認識してはと思います。
 父なる神を求め続ける、その方法は?
パウロはその方法をわかり易く案内しています。キリストのように考え、キリストのように話し、キリストのように行い、キリストのように愛することです。
*6月29日まで続く「パウロ年」を一層活かして、パウロから学び、イエスに依って主を求め続ける事が出来るように心掛ける事、それを皆さんへの私の新年の挨拶に代えさせて頂きます。
皆さんと皆さんのご家族の上に神の祝福が豊かに注がれる事を祈りながら・・・
皆さん新年明けましておめでとうございます。
2009年1月号
ベリオン・ルイ神父

証し人になろう(No.161)

来る11月24日正午から長崎ビッグNスタジムでペトロ岐部と十八七殉教者の列福式が執り行われる事を皆さんもご存知の通りです。私達の教会にとってその列福式は嬉しい事ですが、どうしてかよくわかりませんが、どこかで私は素直にその喜びに身を任せる事が出来ません。きっとそれは当時の殉教者が残した証しと現在の私達の証しとの間に隔たりを痛切に感じているからでしょう。確かに状況は違いますし、当時のキリスト者が皆殉教した訳ではありません。それにしても、ちょっとした理由で主の日の感謝の祭儀(ミサ)へ参加を“サボっている”方々の事を思うと、その方々は日々どんな証しを立てる事が出来るのでしょうか。主の日にキリストの共同体として集う事は私達の信仰生活の全てではない事を承知していますがその努力さえしなければ本当に社会の中で福音に従って生きる事が出来るでしょうか。
 自分の信仰を養うために神の言葉、特に福音を知り、その福音に自分の日常生活を照らし合わせるように心掛けなければ、どんな証しを立てる事が出来るでしょうか。学校行事、塾やクラブ活動を優先して子供達は教会の信仰と生活に触れる事が出来なければ、どうしてキリスト者として育つ事が可能になるのでしょうか。祈る事を体験しなければ、どの様にして洗礼による信仰の火を灯す事が出来るでしょうか。
殉教者の時代と違って私達は信仰の自由を味わっているのですが、私達はその自由をどのようにして活かしているでしょうか。その自由は証しの開花どころか、その緩みを生み出しているのではないでしょうか。
だからこそ殉教者の列福を盛大に祝う事を機会にして、もう一度証しする事について日本の教会として考えよと主張する方は大勢いらっしゃると思います。しかしそれは列福式がカトリック風のショーで終わらなければの話です。ルネッサンスを目指すという見方の正当性を認めながらも、私には疑問が残っている事を隠す事が出来ません。
現在、教会が直面している問題を分析し、迫ってきている危機に対して具体的な対策を講じるように心掛けなければ証し人が育たないではないでしょうか。確かに教会は企業ではありません。株主を意識してではなく、聖霊の導きに従って教会は進んで行くのですが、その導きに気付く為に目も心も頭も開ける必要があります。
聖書を読み、聖霊への祈りを唱えるとわかるように聖霊の働きは“すべてを新たにする”事に繋がっています。それをヒントにしては如何でしょうか。先ずそれを自分に当てはめて
「証し人を募集します」という看板を聖堂の入口に掲げたとしても効果がないでしょう。証し人に協力する必要がある事を認識しなければならないと思います。それに当って手助けになる事は三つあります。
一つ目は、神の言葉を読み、それに対する理解を深めるために努力する事。二つ目は、共同体の中で感謝の祭儀(ミサ)を中心に神の命(秘跡)に養われるように努力する事。三つ目は、個人的に命綱である祈りの内に神と交われるように努力する事です。その努力なしに聖霊に導かれた証しは有り得ないと思います。
長崎での列福式はこのような事の再確認の時となり、そして私達の共同体は殉教者の模範に照らされて現在の日本の中で勇気を持ってイエス-キリストの証し人の共同体となる事を心から祈ります。
2008年12月号
ベリオン・ルイ神父

夜中の誘い(No.160)

金融危機を始め、様々な危機や困難に直面している世界の中で、今年も私たちはイエスの誕生を記念する日に向かって歩み始めました。不安や心配にも必ず穏やかで爽やかな心でその日を迎えたいと思う人、その夢を抱いている人々は少なくないでしょう。厳しい現実の中でこそ、希望を与え、心に安らぎをもたらし、前方の歩みを照らす光となる「言葉」を人は待ち兼ねているのではないでしょうか。私たちはその「言葉」となった神を、幼な子の姿を通して迎えようとしています。
 それを契機にして、鮮やかな色のリボンに飾られ、美しく包装されたクリスマス・プレゼントとして、皆さんにこの「一言」を贈らせていただきたいと思います。
*私事で恐縮ですが、「クリスマス」と聞くといつもと言っていい程、懐かしく思い出す歌があります。静かで清らかなメロディとその歌詞は、実にイエスの誕生に相応しいものだと思います。誰もが知っている歌、クリスマスに季節になると全世界の様々な所で鳴り響く歌、多くの人が口ずさみ、心に残り、感動をもたらし、心の安らぎを与える歌、「きよしこの夜」と言う歌です。
 皆さんもご存知のように、この歌はオーストリアのアルプス山中にある古い村で1818年12月イエスの誕生を祝う夜に生まれました。夜中のミサの前にこの村の司祭ジョゼフ・モアーは貧しい家で生まれた赤ん坊の祝福を求められ、行ってみるとその家の光景がイエスのベツレヘムでの誕生と重なったため、彼は例にない感動を覚えました。帰り道に輝く星空を仰ぎながら彼は森の静寂の中で神の平安と善意の約束を感じました。深夜のミサの後、彼は自分の書斎に入り詩を書き始め夜明けと共に書き終わりました。
 クリスマス当日、モアー神父は書いた詩を持って友人であり学校の先生だったフランツ・グルーバー氏の家を訪れました。友人はその詩を二度も三度も繰り返して読み早速譜面を書き始めました。このように「きよしこの夜」の歌がクリスマスの夜中に生まれました。
今年も心と声を一つにして私たちの共同体は全世界の大勢の人々と共にその歌を祈りとして幼な子に捧げます。どうか皆さん、悩みや不安、孤独や哀愁の最中に沈みがかろうとしても一緒にイエスの誕生を祝うために集い、その歌を唄いながら再び心に希望の光を点して下さい。
*火を灯す。その言葉はもう一つの懐かしい思い出を記憶に蘇らせます。美味しい「BUCHE DE NOEL」(ビュシュ・ド・ノエル)の事です。クリスマスの薪 子供の頃、クリスマスの薪に火を点けることはクリスマスの夜の嬉しいひと時でした。忠実と肥沃のシンボルである果実の木の枝を切り、その薪を飾り暖炉の中に寝かせていました。その上にアルコールを注いでから家の一番小さい子はそれに火を点けていました。その日の暖かさと美しさ、燃える薪から散る火花、火花が多ければ多い程に次の年の収穫が豊富になると言い伝えられ、その光景を忘れる事が出来ません。その時の楽しみは夜中のミサからの帰り母が作ってくれた薪そっくりのチョコレートロールケーキを味わう楽しみと連動していました。火花を見ながら既によだれの出そうな思いでした。
黒崎教会ではチョコレートロールケーキを提供する事が出来ませんがおいでになれば心が温まるひと時を共に過ごす事が出来ると思います。「パウロ年」に合わせて典礼を考え、パウロと共にイエスの誕生を迎え、祝いたいと思います。
どうか皆さん背負っている重荷を幼な子の前に置いて、幼な子が約束された喜びと平和、その「言葉」を信じて、この一年を共に結ぶために教会の方へ足を運んで下さい。共にクリスマスのメッセージに耳を傾けようではありませんか。
「いと高きところには栄光神にあれ 地には平和、御心に適う人にあれ」と。(ルカによる福音2.14)イエスの御降誕おめでとうございます。
2008年11月号
ベリオン・ルイ神父

「イエス・キリスト」の共同体として(No.159)

創設60周年を迎えた私達の共同体は、10月19日に20回目の聖家族の集いを行います。
 それを契機にしてこの八幡の地で何の為に私達の共同体が存在しているのかという事について少し考えてみたいと思います。
黒崎教会を知っている近所の方々の目には私達はどのように映っているのでしょうか。アンケートをとった事がない為知る術がありませんが看板を見ている多くの人は漠然と、私達はキリスト教という「宗教」の信者である事ぐらいは分かっているでしょう。ところが「宗教」として見られ、片付けられる事はイエス・キリストを信じる私達にとってハンディキャップ・妨げに成りかねないと思います。「宗教」はどのように理解されるかによって。
 勿論、例外もあるでしょうが「宗教」を自分たちの問題を解決する為の手段と見做、あるいは奇跡的な癒しや超能力を手に入れる為の手段として「宗教」に入り、お守りの意味で冠婚葬祭を求め、環境と気分によって左右されて「宗教」と関わり合う人が大半のように見えます。
しかし、それらは全て人間が「宗教」を自らの願望や欲望を実現する為の道具にしているからでしょう。健康や繁栄、合格や交通安全、心の平安と慰めを願い求める事は間違いではなく「宗教」の否定でもありません。それらは全て善いものであり、恵みとして人間に与えられるものです。
しかし、問題はそれらを得たいと願う人間が自らを中心に据えて「宗教」をそれらを手に入れる為の手段にしてしまうという事です。こうした人間中心主義は「宗教」を歪曲してしまいます。イエス・キリストへの信仰の事を考えると尚更のことです。
だからこそ、何のために私達の共同体は存在しているのかを考える必要があると思います。私達の共同体は人間に相応しい生き方の泉である神の位置の回復を目指すように心掛けなければならないと思います。すなわち人間中心の、自己中心から神中心の生活、自らの意思と欲望ではなく、神の意思、神の望みに従って生きる生活へと変えるように努めなければなりません。それは常に神の御旨を全うするように心掛けたイエス・キリストに倣って生きる事です。
身内だけで宗教的な行事をこなすために私達の共同体は誕生したのではありません。イエスと福音を告げ知らせ、証しする事は私達の共同体の最高の使命です。その為に私達はイエスに呼び集められ派遣されています。
「パウロ年」に当ってパウロの次の言葉を肝に銘じてその言葉を常に黙想するように心掛ける必要があると思います。「私が福音を告げ知らせてもそれは私の誇りになりません。そうせずにはいられないからです。福音を告げ知らせないなら私は不幸です」と。(コリントの信徒への手紙1_9_16)福音、良い知らせとは何ですか。一言で言えば「独り子をお与えになった程に神は世を愛された」(ヨハネ3_16)という事です。
福音を告げ知らせる事は二つの事を求めています。口でイエスのことを伝える事、そして人の目に移る行動をもっと抽象的に聞こえる神の愛と憐れみに“骨と肉”を付けつまり証しする事です。神はイエスの内に“骨と肉”になったように。
イエスのように私達はそれが出来ないでしょう。パウロを真似する事も出来ないかもしれません。しかし、彼等に見習う事は出来るはずです。
その努力を惜しまなければきっと私達の共同体は単に「宗教」としてだけではなく、福音に生きる共同体として回りの人々の目に映る事になるでしょう。
今からの私達の共同体は一層その理想に向かって歩む共同体となるように心から祈ります。
2008年10月号
ベリオン・ルイ神父

パウロ年(No.157/158)

皆さんもご存知のように、6月28日から教会は「パウロ年」に入り、来年の6月23日まで私たちはパウロに倣ってキリスト者として生きるようにと呼び掛けられています。西暦7年から10年までの間に生まれたとされるパウロの生誕2千年を祝う意味でこの1年間は「パウロ年」と定められました。
21世紀こそ福音を必要とする世紀だと確信している私にとって、とても嬉しく有り難い発表です。「パウロ年」の開幕に当たって早速皆さんとご一緒にパウロについて少し考えてみたいと思います。
「パウロはキリストが誰であるかを誰よりも正確に知り、またキリストの名を頂くキリスト者がどのような者でなければならないのかを自分の行いによって示した」と。
西暦4世紀のニッサの司教、聖グレゴリオのその言葉に賛同の印しとして拍手を送りたい気持ちで一杯です。正にその通りだと思います。しかし、元々パウロは決してその様な人ではありませんでした。パウロという名前はローマ市民としての彼の名前でしたが、ユダヤ人としてのヘブライ語での彼の名前はサウルでした。
彼はキリキヤ州(現在のトルコの南にあるタルソスという町)で生まれました。ユダヤ人でありながらローマ市民権を持つ名誉ある家族の中で育ちました。タルソスは当時ギリシャ文化が栄えた町で、サウルがユダヤ人でありギリシャ文化に詳しくローマの市民権を持つという三つの条件は同時に熱心なユダヤ教徒でもありました。
若い頃サウルはエルサレムでガマリエルという有名な先生の指導を受け、ファリサイ派に所属し聖書に関してとても優れた知識を持っていました。サウルはナザレのイエスに会った事がありませんでしたが誕生したばかりのイエスの共同体を知り直ぐ危機感を抱きました。
イエスの弟子が述べている事は本当ならユダヤ教の終幕が目に見えると判断しました。イエスの弟子はイエスが律法を完成したと言っているのですが、結果的にそれによって伝統的なユダヤ教が消えてしまいます。
「ステファノの殉教の時にサウルが立ち会った事」、「弟子達を脅迫し殺そうと意気込んだ事」、「キリスト者を縛り上げる為にシリアの首都ダマスコに行き、弟子達をエルサレムに連行する為に大祭司の許可を求めた事」(使徒言行録7_58・8_1・9_1.2)の背景にその危機感があると言えます。
キリスト者によって侮辱されている神の面目を回復する為、神の名においてサウルはキリスト者を迫害しました。自分が正しく振る舞い、神の望んでおられる事を行っていると確信し、自分が”見える”と思い込んでいました。
ところが正しい道を歩んでいると思っていたのに実はその道は袋小路でした。真の道はイエスです。ダマスコへ行く途中サウルはその事を思い知らされました。その道で起こった決定的な事なしにパウロの事を理解する事も、説明する事も出来ません。
ダマスコへの道で起こった事は聖書の中で4回も語られています。(使徒言行録9_1~19・22_6~16・26_12~18・ガリラヤの使徒への手紙1_11~17)それだけその出来事は決定的な意味を持っていることが分かります。ダマスコへ行く途中眩しい光に照らされサウルは”見えなくなりました”。
神の光に照らされると、その光はあまりにも眩しく何も見えなくなります、真昼の太陽をじっと見つめる時と同じように。その光は復活して生きていられるイエスとの出会いでした。サウルが”見えなくなった”その事は、その時までの彼の信仰の状態を言い表しています。それに相伴って「サウルは地に倒れました。」(使徒言行録9_4)
未だに多くの方はサウルが馬から落ちたと思い込んでいるのですが、4つの話を読んでも馬の事が書かれていませんし、人の想像から生まれた話に過ぎません。
大切な事は倒れたサウルがイエスの前で自分の無力さを知り、3日間見えなくなった事です。イエスが死から復活へと移ったように、サウルはイエスに対する以前の見方がなくなりイエス・キリストへの信仰に目覚めたという事です。3日目に「サウルの目からうろこの様な物が落ち見えるようになりました」と。(使徒言行録9_18)すなわちイエスの真の姿を知り信じるようになったという事です。
イエスとの出会いのショックが大きかった為にサウルは地に倒れましたが、イエスはサウルを負かしたのではありません。彼には神ほどの力が無い事を知らせただけです。だからイエスから「起きなさい」(使徒言行録9_6)と言われるとサウルは別の人になってダマスコに入りました。その体験からサウルが多く学び、自分がイエスによって立たされ、イエスのおかげで見えるようになったから「自分が弱い時にこそ強い」(コリントの使徒への手紙第2・12_7~10*「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い」コリントの使徒への手紙第1・1_25)とわかりました。ファリサイ派の熱心な派閥のメンバーから彼はキリストの素晴らしい使徒に変わりました。ダマスコへ行く道でユダヤ教のサウルはキリスト教のパウロになりました。
私たちはパウロのような強烈な体験をした事がないでしょうし、パウロと同じ体験をする事を期待する事も出来ないでしょう。それにしても彼の体験から様々な事を学ぶ事が出来ると思います。多かれ少なかれ私達も”見える”と思い込み、実はまだまだ見えない者であるからです。
口では宣言している信仰と実生活との間の隔たりはそれを表しているのではないでしょうか。見えない状態から見える状態に移るために何らかの形でダマスコへの道に於いてサウルに起こった事を私達も味あわなければならないと思います。
それはイエスとの決定的な出会いです。その出会いのおかげで必ず目からうろこが落ち生き方が変わります。
今から1年もの間、私達一人ひとりがその事を体験する事が出来る様に、その恵みを味わう事が出来る為にパウロと共に歩んでみたいと思います。
2008年8・9月号
ベリオン・ルイ神父