お母さん 〜聖母マリアへの手紙〜(No.129)
愛しい聖母マリアよ。
私の母をご存知ですね。あのおばあさんは弱いところもあった人間ですが、私にとっては掛け替えのない「お母さん」でした。私の言い方は少しオーバーかもしれませんが笑わないで下さいね。娘時代の母は、とりわけ潔く美しかったろうと思っています。
あなたは生まれつき、完全に潔いものでしたね。原罪も自罪も、その影も汚れもない心でした。神学者はあなたを無原罪のやどり、と呼んでいますよ。私はそんな難しい言葉はよくわかりませんが、イエスと一緒にあなたの潔さを自慢させていただいて、神に感謝します。
私は自分の誕生の時の記憶がありませんが、若いお母さんたちを見ると、その時の私の母の喜び、希望、未来に対する不安と信頼の入り交じった心を容易に想像することが出来ます。
ベツレヘムであなたも赤ちゃんイエスを前にして、このようであったろうと察しています。そしてあなたは聖書に書いてあるわかりにくい預言について思い巡らし、暗い夜のような不安の中にいたのでしょう。
私の父と母は今、永遠の安息を味わっているのですが、父の最後の病気の時、母は世話をしながら時々泣いていたと兄弟から聞きました。母は夫に代わって、子供に代わって、自分がその苦しみを耐えたいと切望しながらも、それがなかなか出来ないでいたから泣いていたのでしょう。
聖母マリアよ、ヨセフに死なれた時のあなたの心、イエスの十字架の上での姿を見なければならなかったあの時のあなたの心も、ご自分でも人間の言葉をもっては、到底言い表すことが出来なかったでしょう。しかし私は直感でわかります。父と死別した時の母の悲しそうな、けれども神に対する従順と信頼とを読み取ることの出来た、落ち着いたあの顔を想像することが出来ます。復活の夜明けにあなたがイエスに再会された時のことは福音書まで遠慮して文字にしませんでしたが、その時のあなたの微笑みを想像することが出来るように。
そして弟子たちはイエスに去られ、次にあなたにも去られてしまった時、取り残された者のように寂しかったでしょうが、彼らにはあなたの最後の微笑みは強く印象に残ったに違いありません。どうか辛い時に私たちをも励まし、私たちにも微笑んでください。
教会の中で、昔からこの五月はあなたの月と定められています。私たちの母の日も今月です。鈍感な私たちは、めいめいの母親を通してしかあなたを見出すことが出来ませんが、福音書に描かれているあなたの姿から私たちは常に学ぶことが出来るようにと、あなたの子イエスを切に祈り求めます。
天のお母さんマリアよ、私たちのお母さんをよろしくお願い致します。
そして心から愛した母よ、もう一度、ありがとう。
2006年5月号
ベリオン・ルイ神父
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