春の想い(No.141)

 春の柔らかな日射しの下で一羽の白さぎが優雅に飛んでいる。しなやかにゆらいでいる雪柳の可憐な花は風の旋律に合わせてあたかも踊っているかのように...つばきの真っ赤な花弁が日の光の接吻を楽しんでいるかのように見える。光をあびた菜の花の黄色が輝き、桜の花の開花が間近です。黙想会に協力するために呼ばれて、新田原教会で(3月26日〜28日)眺めた風景です。その黙想会のおかげで新田原教会の皆さんをほとんど知らなかった私は、味わい深いものをかみしめることが出来ました。
 アンジェラスの鐘の音は、子供の頃のおじいさんとおばあさんの村の教会の鐘の音を、私の耳によみがえらせて、胸が熱くなりました。ルルドの洞窟の隣にある墓地に参り、父と母、四十才で急に亡くなった愛しい弟の生きていた時の微笑ましい姿が目に浮かび、知り合いの方の家族の墓の前で静かに祈りました。その時に何とも言えない親しみを覚えました。日本で生まれたその方とフランスで生まれた私は深いものに結ばれていることを実感しました。 人が死んでも復活して永遠に生きる。その信仰の内に結ばれている、と。イエス・キリストのおかげで。
 そう言えば、「宗教」という言葉はラテン語の“レリジオ”(RELIGIO)を翻訳しています。“レリジオ”は「結び付ける」「結び合わせる」と意味している動詞から派生しています。
 それは正に教会の使命です。だから第二バチカン公会議の“現代世界憲章”の冒頭にある次の言葉はいつも私の心に強く響いています。「現代人の喜びと希望、悲しみと苦しみ、特に貧しい人々とすべて苦しんでいる人々のものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、悲しみと苦しみでもある。真に、人間的なことがらでキリストの弟子たちの心に反響を呼び起こさないものは一つもない。…したがって教会共同体そのものが、人類とその歴史とに実際に深く結ばれている」と。
 帰り道にパイプを吹かして運転しながら、杉原神父様を始め、新田原教会の兄弟の皆さんに心から感謝いたしました。私たちは実に素晴らしいもの、イエス・キリストへの信仰の内に深く結ばれているということを新たに自覚しました。そして思いました。どこまで私たちはそれに気付いているか。共同体同志、そのように結ばれていることをもっと認識すれば、社会と世界の中で一層共に教会に委ねられた使命を果すことが出来るのではないのかと。小教区の垣根を越えて、北九州地区の司祭と信徒はキリストの共同体の使命にもっと目覚め、希望と勇気をもって、共に知恵と力を合わせて、同じイエス・キリストへの信仰に結ばれている確信を活かすようにすれば、社会の中で真にイエスの復活_イエスが今も生きておられることを証することが出来るでしょう。その素敵な夢を抱きながら喜びにあふれ黒崎に戻ってきました。夢が実現出来るために努力することを新たに決心して
2007年5月号
ベリオン・ルイ神父

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