聖霊の働きを見る目を〜聖霊の導きに従うこと〜(No.123)
*11月20日、堅信の秘跡を受ける中学生と一緒に、4月から出来るだけのこと、出来る範囲でのことをしながら、その日に向かって準備を重ねてきました。中学生は自分たちなりによく努力したと思います。それにしても子供たちは、神(聖霊)の働きを見る目を養い育て、神(聖霊)の導きに気付き、それに従うことの大切さをどこまで理解することが出来たのでしょうか。
堅信式イコール卒業式。良く耳にする言葉ではあるし、私もよく見てきた現象です。確かに堅信式の後、中学生の時代に堅信の秘跡を受けた少年少女たちの姿は教会から消えていきます。それには様々な理由があるでしょうが、それを見てきた私は、ずいぶん前からその秘跡を受ける時期を伸ばした方が賢明ではないかという結論に至っています。日本の場合はせっかく「成人式」という祝いがあるから、それに合わせて堅信の秘跡を考えることが望ましいことであるのかもしれません。しかし、“そのようにすれば堅信の秘跡を受ける人の人数は急に極端に減ってしまう”“若者を集めることは困難なことになる”などの理由で、いくらその秘跡を受ける時期について検討すればと依頼しても、真剣に取り組んでいただくことは今まで門前払いされてきました。それは習慣に対するこだわり、新しい試みに対する抵抗、想像力の乏しさ、場合によって怠慢のしるしではないでしょうか。21世紀の教会の中で働き、その中で私たちを導いている神(聖霊)に対する音痴のしるしではないでしょうか。
神の働きを見る目を自分の内に養い育て、神の導きに気付き、そしてそれに従う、つまり生活の中でイエス−キリストを証しすること、堅信の秘跡に臨む今の中学生にそれを理解することを求めることは無理なことではないかと思います。もちろん少年少女の心の中で神が働いておられ、授けられる秘跡の力をも信じていますが、本人の自覚なしに何が生まれるのでしょうか。秘跡は魔法の世界ではありません。堅信の秘跡を受けてから、どうして少年少女は教会から遠ざかっていくのでしょうか。どうしてもその疑問が頭から離れません。私たちの考え方ややり方の改革は必要なのでは?
*聖霊の働きといえば、つい最近自分の目でそれを見ることが出来ました。数年前の北九州地区の信徒協主催の研修会で、聖体について話すことを依頼され、質疑応答の時に一人の方から攻撃的な発言を受けました。“私は絶対に信徒からご聖体を受けません。特に女性からね”と。ところが、10月18日、福岡のカテドラルで行われた司教による聖体奉仕者の任命式の時に、その方は聖体奉仕者として任命されました。その方に挨拶して、笑いながら2〜3年前のことを思い出させたところ、その方も笑いながら次のことをおっしゃいました。“今思えばずいぶん失礼なことを言いました。その時に説明されたことに対して反発を感じましたが、後で考え直して回心しました。本当にありがとう。”と。その方は女性です...。
*11月13日、黒崎にあるキリストの共同体として私たちは中学生を囲み、祈りの内に包むように心掛けるのですが、その少年少女は神(聖霊)の働きを見る目を自分たちの中で養い育て、神(聖霊)の導きに気付き、従うことが出来るように特に祈りたいと思います。
2005年11月号
ベリオン・ルイ神父
- Posted in: ベリオン・ルイ神父様