美しさを目指して(No.146)

 20年も前の話ですが、皮肉屋で有名な先輩に当る神父が冗談とも真面目ともつかぬ口調でこんな話を聞かせてくれました。“ある日熱心すぎる程熱心な中年の独身女性が相談をもちかけてきました。作り笑いをしながら「神父様お化粧することは罪になるのでしょうか」と。以前から苛立ちが溜まってたせいか、つい彼は平然たる顔をして次のように答えたそうです。「古い壁のペンキを塗り直す事も、崩れかかっている外観を良い状態に戻す事も必要な事でしょう」と。「まぁ失礼」...。 彼女は内心私を訴えてやろうと思った事でしょうね”と。その神父は苦笑いをして付け加えました。「女性にとってはこのような話は冗談にせよ、神父が話したとなれば捨ててはおけない事でしょう。」
その神父より聖ビンセンチオ・ア・パウロの方が一枚上手でした。皆さんもご存知の事と思いますが聖ビンセンチオは(1581年〜1660年)ペストが流行していたフランスで孤児の為に施設を、貧困者の為に病院を、老人の為に養老院を、浮浪者の為に一般救護院を作り、貧しく不幸な人々に一生を捧げた司祭です。
その為にいつも借金に追われていました。幸いにも当時の王(ルイ13世)の厚い信頼を受けていた為、女王の指導司祭として任命されました。女王はいつも好意的にビンセンチオに協力していました。ある日資金不足は限界に来て、ビンセンチオは女王に切に援助を願い出ました。度重なる援助申し入れにも拘らず女王はそれを断りました。ところがビンセンチオはひるむことなく“女王は真珠の首飾りをお持ちでしょう”と迫りました。女王は声を荒立てて彼を退けました。それに応じながらビンセンチオは“女王様は国で一番綺麗な女性でおられますからその美しい首を真珠で飾る必要はありますまい”と呟きました。女王が折れて資金の援助を約束しました。
 言うまでもありませんが、この話を通して女性をいかに上手に口説けばいいかという事について話しているつもりはありません。 神が望んでおられる「美しさ」について考えていただければと思います。
全てではありませんが、皆さんもご承知の通り身体の美しさには健康が大きな影響を及ぼしています。その健康が脅かされそうになった時私たちはすぐ病院に駆け込み医者の診察を受けます。病気でもないのに自分の姿に不満(とお金)があればエステや美容整形に頼ります。
神の望んでおられる美しさに輝く為には信仰の健康は何より大切なものですが、私たちは身体の健康程、信仰の健康に注意を払っているでしょうか。身体の健康に対しては敏感なのに信仰の健康に対しては鈍感になっているのではないでしょうか。
それを正直に認め、そしてそれを改めるように努力することはキリスト者として生きて行きたい事の印になります。そのためにイエスの福音の光の内に自分の信仰の歩みを見つける事は大切な事だと思います。9月からまた始まる聖書の分かち合いに参加する事によって、その努力が確実に支えられます。
今まで参加した事のない方々もそれに挑戦してみてはいかがでしょうか。神が望んでおられる美しさを目指すために。
2007年9月号
ベリオン・ルイ神父

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