美しさを目指して(No.146)
20年も前の話ですが、皮肉屋で有名な先輩に当る神父が冗談とも真面目ともつかぬ口調でこんな話を聞かせてくれました。“ある日熱心すぎる程熱心な中年の独身女性が相談をもちかけてきました。作り笑いをしながら「神父様お化粧することは罪になるのでしょうか」と。以前から苛立ちが溜まってたせいか、つい彼は平然たる顔をして次のように答えたそうです。「古い壁のペンキを塗り直す事も、崩れかかっている外観を良い状態に戻す事も必要な事でしょう」と。「まぁ失礼」...。 彼女は内心私を訴えてやろうと思った事でしょうね”と。その神父は苦笑いをして付け加えました。「女性にとってはこのような話は冗談にせよ、神父が話したとなれば捨ててはおけない事でしょう。」
その神父より聖ビンセンチオ・ア・パウロの方が一枚上手でした。皆さんもご存知の事と思いますが聖ビンセンチオは(1581年〜1660年)ペストが流行していたフランスで孤児の為に施設を、貧困者の為に病院を、老人の為に養老院を、浮浪者の為に一般救護院を作り、貧しく不幸な人々に一生を捧げた司祭です。
その為にいつも借金に追われていました。幸いにも当時の王(ルイ13世)の厚い信頼を受けていた為、女王の指導司祭として任命されました。女王はいつも好意的にビンセンチオに協力していました。ある日資金不足は限界に来て、ビンセンチオは女王に切に援助を願い出ました。度重なる援助申し入れにも拘らず女王はそれを断りました。ところがビンセンチオはひるむことなく“女王は真珠の首飾りをお持ちでしょう”と迫りました。女王は声を荒立てて彼を退けました。それに応じながらビンセンチオは“女王様は国で一番綺麗な女性でおられますからその美しい首を真珠で飾る必要はありますまい”と呟きました。女王が折れて資金の援助を約束しました。
言うまでもありませんが、この話を通して女性をいかに上手に口説けばいいかという事について話しているつもりはありません。 神が望んでおられる「美しさ」について考えていただければと思います。
全てではありませんが、皆さんもご承知の通り身体の美しさには健康が大きな影響を及ぼしています。その健康が脅かされそうになった時私たちはすぐ病院に駆け込み医者の診察を受けます。病気でもないのに自分の姿に不満(とお金)があればエステや美容整形に頼ります。
神の望んでおられる美しさに輝く為には信仰の健康は何より大切なものですが、私たちは身体の健康程、信仰の健康に注意を払っているでしょうか。身体の健康に対しては敏感なのに信仰の健康に対しては鈍感になっているのではないでしょうか。
それを正直に認め、そしてそれを改めるように努力することはキリスト者として生きて行きたい事の印になります。そのためにイエスの福音の光の内に自分の信仰の歩みを見つける事は大切な事だと思います。9月からまた始まる聖書の分かち合いに参加する事によって、その努力が確実に支えられます。
今まで参加した事のない方々もそれに挑戦してみてはいかがでしょうか。神が望んでおられる美しさを目指すために。
2007年9月号
ベリオン・ルイ神父
平和ぼけって(No.145)
“平和ぼけ”、いつその言葉が現れ誰が初めてその言葉を口にし、その言葉の意味あいは何でしょうか。ご存知の方がいらっしゃれば是非教えていただきたいと思います。
なぜなら、その言葉を聞くと戸惑いを感じる時があるからです。
きっと私はその言葉の意味をよく把握していないからでしょう。・・・それにしても、その言葉を口にする人によって“平和ぼけ”という言葉にどうも様々な思いと意図が秘められているような気がしてなりません。
世界の問題を解決する為に暴力行使が相応しくない、“軍事産業の予算よりも教育や福祉の予算を優先しよう”と言ったところで、“お前は平和ぼけだ”と言われたらちょっと困ります。
イエスキリストから神の平和を残され与えられた私たちは“ぼけていない”からこそ平和を求める人々に協力し、平和の実現の為に働くように心掛けています。
教会の中で1月1日は「世界平和の日」と定められ、日本の教会は8月6日から15日までの期間を「平和旬間」と定めました。その間に私たち一人ひとりが平和について考え、平和の為に祈り、そして平和を築き上げる為に行動する事を呼び掛けられています。
人が銃を手で握りにらみ合う時に平和について考える事は既に遅過ぎます。
まず自分の内に、人に対する先入観や偏見が潜んでいる事に気付く事が大切な事だと思います。その有毒な傾向に対して戦おうとしなければ、人の感情をあおる煽動者の台詞にのせられてしまいます。民族意識、国家意識などは自然で本能的なものだとおっしゃる人は少なくありませんが、実はその意識が殆ど教育によって植え付けられています。そうでなければどうして愛国心を育てる必要があると訴えられるのでしょうか。
教科書から沖縄での軍による強制的な集団自決という事実が消え戦争の間に行われた虐殺などが否定的な思想に基づいて見直され、意図的に歴史の歪曲が行われている事を皆さんもご存知の通りです。しかし歪んだ歴史観をもっと、誠意のある関わり合いを結ぶ事が出来ず本当の意味での平和を築き上げる事が出来ません。
人も人種も、民族も国も、その歴史と文化は違います。問題はその「違い」をどう見るか、その「違い」からどんな結論を引き出すかと言う事です。それに当たって私たちはイエスの言葉と生き方を判断の基準にする事を忘れてはなりません。
2007年3月26日、日本のカトリック司教団は「信教の自由と政教分離」という本を出版しました。既に黒崎教会では130名、天神町教会では50名の方がその本を手に入れ、それについて学ぶ為に分かち合いが行われました。「平和旬間」を機会にして是非多くの方がその本を読みそれについて真剣に考えるようにお勧めしたいと思っています。そこには鋭い分析に基づいて司教たちは明白に教会の教えを紹介しているからです。
イエスの福音の光の中に自分の心の動きを見る事、自分の中にある闇と戦う事なしに平和を語る事が出来ません。そしてそれを知り、それを強く認識しなければ環境の影響に呑まれ宣伝にのせられてしまいます。
今年の「平和旬間」の間、司教たちの次の言葉に耳を傾けるように心掛けたいと思います。
「教会は国家の正当な権威を認めますが、国の政策が神の意思に沿わない場合は神に従う方を選びます。」と。
(「信教の自由と政教分離」12ページ)
2007年8月号
ベリオン・ルイ神父
不思議ですね(No.143)
最近読んだ話から。。。
* 私たちは神を父と呼び、イエスを友と呼ぶが彼らを自分たちの生活に受け入れ難しく感じる。
* 私たちは福音を理解し、他人に話すのに困難を感じるが、他人に関する悪口を簡単に理解し広める。
* 神に仕える一時間が長く感じるがTV番組を見て、短く感じる。
* 野球の試合が勝負決定のために延ばされるとわくわくするが、説教は普通よりも少し長くなると不平を言う。
* 聖書の一章を読むことが大変だと感じるが、二百ページのベストセラー小説を読みやすく感じる。
* コンサートの時私たちは前の席を奪い合うが、教会の典礼に参加する時、後ろの席に座る。
* 金曜日の晩に遅くまで催されるものを楽しみにするが、日曜日の朝の礼拝に参加するための早起きを嘆いている。
* 私たちの罪が小さなものに見えるが、他人の罪はどれほど重大なものに見えることか。
* 他人が厳しく裁かれることを要求するが、自分たちは慈しみ深く扱われるように切望する。
* 私たちは迷う時全く知らない人にでも道を尋ねるが、人生の道を歩むために神に尋ねることを忘れる。
* 自分たちの願いごとを神に聞き入れられることを求めるが、神の勧めを聞きたがらない。
* 世界における一切の不幸や苦しみの故に神を非難するが、一切の嬉しいこと楽しいことを感謝しない。
* 具合が悪くなる時私たちは「主よ、なぜ私に?」と叫ぶが、調子の良い時それを神に結び付けようとしない。
−不思議ですね!−
不思議なことなのにそれは当たり前のことになっています。いかに自己中心的に生き、いかに都合のいいように私たちは振舞っているかということです。信じていると宣言しながらもその信仰は実生活においてそれ程影響を及ぼしていません。
私たちの日常生活の中で神とその言葉はどの位置に置かれているか、今の私たちの信じ方はこれでいいのか、それについて真剣に考えるために時には“時の流れ”を止める必要があります。祈る時間はそれなのです。一日の内に祈る時間を設けることは宗教的な義務を果すことであるより先に、人間として、神の子として自由に生きるための条件です。
一日の生活の中で、私たち一人ひとりがその祈る時間を作るためにどれだけの努力をしているでしょうか。
ここで「努力する」という言葉を使うことも又不思議ですね。デートに行く恋人が“努力する”のでしょうか。もしそうだとすればそれは愛情が冷めたしるしになっているのでは。。。
2007年7月号
ベリオン・ルイ神父
そして イエス・キリストへの信仰(No.142)
平戸大橋の下に潮流が西の方へ流れて行く。沈んでいる夕日とのランデブーのためでしょうか。小魚を狙っているとんびが優雅に風に乗っている。港を出て行く漁船のエンジンが林に隠れている小鳥のさえずりを乱していません。静かな、穏やかな幸せの一時。カラスのかれた鳴き声さえなければ。
5月3日(水)平戸口。その日、黒崎から40名で旅行案内が唱えている「歴史とロマンの島、平戸」へ参りました。。。。
紐差教会からの帰り道に根獅子ヶ浜の切支丹資料館とマタラ神父の墓を訪ねました。天文19年(1550年)6月フランシスコ・ザビエルは平戸の上陸し,更に9月に1ヶ月滞在し、その間に100人が洗礼して、長崎の教会の歴史が始まりました。後にその地は切支丹の里となり、大勢の信者はイエス・キリストの信仰を証しするために殉教しました。19世紀の終わりに(明治6年,1893年)信仰の自由が認められましたが、切支丹の子孫の一部は教会に加わることを拒みました。「納戸(なんどり)神信者」とも言われているその隠れ切支丹は今日でも納戸の中に“聖なるご神体”を大切に隠し、礼拝していますが、その人数は極端に減りその行く末は危うくなってきました。切支丹資料館を去りながらふと歴史とイエス・キリストへの信仰との関係について様々な思いが浮かびました。
パリ・ミション会の先輩マタラ(MATRAT)神父(1856年〜1921年)の墓(田崎)を囲んで共に祈った時に一層その想いにやけました。歴史的な遺産、過去の歴史の足跡は実に貴重で、感謝を呼び起こすのですが、私たちにとってそれはイエス・キリストへの信仰と強くつながっていなければ、その場を訪ねる旅はロマンで終わってしまうのでは、と。イエス・キリストへの信仰は過去の歴史を大切にしながらも、今からの歴史を作ることを呼び求めていると思います。根獅子ヶ浜の隠れ切支丹の子孫の一部は_理由が何であれ_そのことを見落としたのではと、ちょっと寂しい想いをしました。イエス・キリストへの信仰とのつながりのしるしとなったのは、遠くから訪れた宣教師たちでした。隠れていた多くの切支丹が彼らを迎えることによって250年近くもの間、隠れて証しし続けた信仰を、公に証しすることになりました。
40年間平戸とその地方で活躍したマタラ神父は65才で亡くなりました。同じ年になり、39年前に日本の地を初めて踏んだ私は、その墓で100年前の兄弟に出会ったような気がしました。同時に過去としての歴史に感謝しながら、今日築き上げられている歴史の大切さを再確認し、誇りと勇気を持ってそれに協力することを新たに決心しましたフランシスコ・ザビエル、隠れ切支丹、マタラ神父に次いで、間もなく私も、日本の教会の過去の歴史の無名の遺産になりますが、7月にはパリ・ミション会の若い司祭は日本に遣わされてることになりました。過去も現在も未来も歴史は父なる神の御手にあり、イエス・キリストへの信仰の内に密接に結ばれています。
平戸への旅は私にとってロマンの旅だけでなく、歴史の中での信仰の旅でもありました。
2007年6月号
ベリオン・ルイ神父
春の想い(No.141)
春の柔らかな日射しの下で一羽の白さぎが優雅に飛んでいる。しなやかにゆらいでいる雪柳の可憐な花は風の旋律に合わせてあたかも踊っているかのように...つばきの真っ赤な花弁が日の光の接吻を楽しんでいるかのように見える。光をあびた菜の花の黄色が輝き、桜の花の開花が間近です。黙想会に協力するために呼ばれて、新田原教会で(3月26日〜28日)眺めた風景です。その黙想会のおかげで新田原教会の皆さんをほとんど知らなかった私は、味わい深いものをかみしめることが出来ました。
アンジェラスの鐘の音は、子供の頃のおじいさんとおばあさんの村の教会の鐘の音を、私の耳によみがえらせて、胸が熱くなりました。ルルドの洞窟の隣にある墓地に参り、父と母、四十才で急に亡くなった愛しい弟の生きていた時の微笑ましい姿が目に浮かび、知り合いの方の家族の墓の前で静かに祈りました。その時に何とも言えない親しみを覚えました。日本で生まれたその方とフランスで生まれた私は深いものに結ばれていることを実感しました。 人が死んでも復活して永遠に生きる。その信仰の内に結ばれている、と。イエス・キリストのおかげで。
そう言えば、「宗教」という言葉はラテン語の“レリジオ”(RELIGIO)を翻訳しています。“レリジオ”は「結び付ける」「結び合わせる」と意味している動詞から派生しています。
それは正に教会の使命です。だから第二バチカン公会議の“現代世界憲章”の冒頭にある次の言葉はいつも私の心に強く響いています。「現代人の喜びと希望、悲しみと苦しみ、特に貧しい人々とすべて苦しんでいる人々のものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、悲しみと苦しみでもある。真に、人間的なことがらでキリストの弟子たちの心に反響を呼び起こさないものは一つもない。…したがって教会共同体そのものが、人類とその歴史とに実際に深く結ばれている」と。
帰り道にパイプを吹かして運転しながら、杉原神父様を始め、新田原教会の兄弟の皆さんに心から感謝いたしました。私たちは実に素晴らしいもの、イエス・キリストへの信仰の内に深く結ばれているということを新たに自覚しました。そして思いました。どこまで私たちはそれに気付いているか。共同体同志、そのように結ばれていることをもっと認識すれば、社会と世界の中で一層共に教会に委ねられた使命を果すことが出来るのではないのかと。小教区の垣根を越えて、北九州地区の司祭と信徒はキリストの共同体の使命にもっと目覚め、希望と勇気をもって、共に知恵と力を合わせて、同じイエス・キリストへの信仰に結ばれている確信を活かすようにすれば、社会の中で真にイエスの復活_イエスが今も生きておられることを証することが出来るでしょう。その素敵な夢を抱きながら喜びにあふれ黒崎に戻ってきました。夢が実現出来るために努力することを新たに決心して
2007年5月号
ベリオン・ルイ神父
アレルヤ(No.140)
アレルヤ。“ハツレル.ヤーウェ”。「神を賛美せよ」。
復活祭を始め、復活節の間に私たちは数え切れない程、その言葉を唱え、歌います。どうしてでしようか。それは、父なる神によってイエスが復活させられ、生きておられることを信じているからです。十字架の上で亡<なられたナザレのイエスは、実は人となられた神であるという信仰です。だから教会の典礼の頂点は、それを記念し祝う復活祭なのです。そのために昔から教会は、自分がキリスト者であると口にする人に、その最低のしるしとしてせめてその日に共同体の集いに参加することを要求してきました。しかし誰もがわかるように、最低のことをこなすことだけが信仰の目的ではありません。キリスト者として生きることは最高のことを目指すことを意味しています。
今年の復活祭を契機にして是非次のことについて考えるようにお勧めしたいと思います。
私にとってイエスの復活は何を意味していますか。自分の日常生活とどんな関係がありますか。
それを信じるか信じないかによって何が変わりますか、と。
*「イエスが復活して今生きておられる」。それを受け入れ、そして自分の生活と結び付けることはそれ程簡単なことではありません。実を言えばそれは今始まったことではありません。西暦50年代にコリントの共同体宛に書かれた手紙の中で、すでにパウロはそれに触れています。(コリントの使徒への手紙一15.12〜19)。パウロが言うように、イエスの復活は私たちの信仰の出発点であり、信仰の中心なのです。それなしにイエスと福音には何の意味もありません。それだけではなく、パウロが言うように、イエスと福音を伝えることはペテン師のように振るまうことになります。
*「イエスが復活して今生きておられる」。それを信じるということは、何を意味しているでしようか。言うまでもありませんが、それは単にその“宣言"に頭で賛同することだけではありません。イエスは父なる神に復活させられたとすれば、ナザレのイエスが身をもって神について述べたことは、正に真実となり、その教えは私たちの人生を意味付けるもの、その人生を方向付ける貴重な道しるべ、神の命をもたらすものになります。だからそれを信じるとすれば、私たちの言葉と生き方はイエスの復活への信仰を反映するはずです。
●イエスの復活を信じることは、想像を絶する豊かな勝れた命、神の命で生きることを言っています。
●イエスの復活を信じるということは、この地上でしるしを通してその命の種を蒔<ことだと思います。アツシジの聖フランシフコの平和の祈りにあるように、それは「憎しみのあるところに愛を、争いのあるところに和解を、分裂のあるところに一致を、疑いのあるところに真実を、望のあるところに希望を、悲しみのあるところに喜びを、暗閣のあるところに光をもたらす」ことです。
私たち一人ひとりが出来ることは限られていますが、イエスの復活への信仰の内に生きて行こうとすれば、「寝起きして知らない内に」蒔かれた種が「芽を出して成長します。」収穫の時まで。(マルコ4.23〜26)イエスの復活を信じている私たちはどのようにして日常生活の中でそれを表しているでしょうか。それについて真剣に自分に問い掛けてはいかがでしょうか。時と場合によって私たちが人のために出来ることは、只単に心から微笑むことだけです。しかしその微笑みは、神の暖かい眼差しを表しているとすれば、それはイエスの復活への信仰のしるしになるのではないでしょうか。
今年も復活節の問に自分の顔と日常の生き方に美しい微笑みを浮かばせながら、声高らかにアレルヤを歌うことが出来るように心掛けたいと思います。
2007年4月号
ベリオン・ルイ神父
「回心」の様々な顔(No.139)
「暴風雨の夜。外は荒れている。男たちは酒を飲んでいたそうです。道にあふれた水が酒場に流れ込む。くるぶしまで水がきて、誰かが悲鳴をあげた。いや、大したことはない。ゆっくり飲もうや。やがて膝まで浸かった。なに、そのうち引くだろう。ついに腰近くまで… 避難するのに間に合わず、酔っ払いは溺れてしまったという。」
このたとえ話が表しているように、好ましくない現実をなかなか人は認めたがらないということです。 私たちの信仰生活において、それに似た現象が見られるのではないでしょうか。
2月21日から私たちは四旬節にはいりました。今年も四旬節の間に「回心」への呼び掛けは私たちの耳に響きます。ところがその「回心」という言葉はどこまで、どのように理解されていますか。疑問に思う時があります。
イスラエルの民にとってそれは神に“立ち帰る”ことを意味し、イエスにとってそれはご自身の言葉と生き方、ご自身へ身も心も回すこと、すなわち思い切った転換を行うことを意味しています。今の自分の考え方、生き方、信じ方を振り返って、「回心」することはどんな変化を求めているか。四旬節の間にそれについて少し考えてはいかがでしょうか。
教会共同体としても「回心」することについて考える必要が大いにあると思います。一つの例として“葬儀”の有り方に関してです。死に直面した時にのみ、教会を思い出す方はますます増えています。その場合は教会での“葬儀”は何を意味していますか。昔、洗礼を受けたからということだけで、人をキリストの“信者”として扱うことが正しいことでしょうか。無条件に人の要求に応じていいのか。何に基づいて判断し、どのようにして振舞えば望ましいか。イエス−キリストを信じるとは何を意味し、教会とは何なのか。「回心」への呼び掛けはそれにも及んでいることをもっと認識する必要があるような気がします…。
その「回心」の一つのしるしとして私たちは3月2日(火)共同回心式という形でゆるしの秘跡を受けるようにと誘われています。どうして教会はその「形」を復活させたのでしょうか。それは罪が個人の問題で終るのではないことを認識させるためです。ところが時の流れと共にその形でのみ、ゆるしの秘跡を受ける“習慣”が生まれたかのように見えます。すなわち共同回心式以外で神からのゆるしを求めることが稀なことになったということです。言うまでもありませんが、それが共同回心式のせいだとは思っていませんし、秘跡を受ける回数が多いから信仰が厚く、罪に対する理解が深いと思っているのでもありません。ただその秘跡を通して赦して下さる神との出会い、その神と接する機会が減ることによって罪に対する私たちの感覚が鈍くなるのではないかと問い掛けたいのです。何もかも罪になっているとは思っていませんし、秘跡を受ける理想的な回数を定めようと思ってもいません。ただ罪に対する私たちの感覚がどうなっているかを確認する必要があるのではと思います。罪に対する自分の認識は自分の信仰の状態を反映しているといっても過言ではないでしょう。
先程のたとえ話の“酔っ払い”のように感覚が鈍くならないために、イエスと教会の「回心」への呼び掛けに今年も耳を傾けたいと思います。
2007年3月号
ベリオン・ルイ神父
キリストは重い(No.138)
この頃日本の殉教者の列福のために運動が盛んになり、ポスターやちらしを配ったり、小冊子を印刷したり、碑を建てたりしています。そのために祈り、巡礼をし、献金するようにと呼び掛けられています。それに対して異議を申し立てるつもりはありませんが、今の教会の状況を考えると、別のところにアクセントをつけた方が必要なのではと思います。それは殉教者に倣って、現在社会の中で、過去において彼ら彼女らがしたようにイエス・キリストと福音を証しするために全力を尽くすことです。そうでなければすべてが記念行事で、身内の自己満足で終りかねないと思います。
「オフェロ」という人に対する有名な伝説がよく知られています。イエス・キリストを捜し求めていた彼はある仕事に着きました。それは旅人を肩に乗せて河を渡らせることでした。 −すっかり疲れて、ぐっすり眠り込んだある夜、「お父さんのもとに帰りたい」と泣いている少年から起こされて、即、その子を肩に乗せて氾濫していた河を渡ろうとしました。不思議にも少年の目方はだんだん重くなってきて、河の真ん中で二人ともおぼれて死んでしまうところでした。力持ちの「オフェロ」にとって初めての経験でした。少年に向かって「オフェロ」は叫びました。“どうしてこんなにだんだん重くなるの”と。少年は答えました。「お前は世界の創造主、十字架を背負いすべての人々のために命を与えた救い主をおんぶしているからですよ。私はあなたが捜してきたイエス・キリストです。これからはあなたが「キリストフォロ」(キリストを運ぶ者)と呼ばれるでしょう」と。
以来、抜け目のない商人はその伝説を利用し、「キリストフォロ」を旅人や交通の保護者にし、守り札としてメダイからキーホルダーまで作り、それを売ることにしました。「キリストフォロ」はユーモアをもってそれを見ているか、情けなく思い溜息をつくか、それとも憤慨しているか私にはわかりませんが、その伝説の教訓が忘れられてきたことはほぼ間違いないでしょう。その教訓とは何ですか。
二五〇年頃、ローマ皇帝デシウスはキリスト教徒を弾圧しました。その迫害の間に多くのキリスト者は殉教しました。キリスト教を熱心に伝えていた「キリストフォロ」も殉教しました。伝説の通り“キリストを運ぶ”こと、すなわちキリストを信じて生き、証しすることは決して“軽い”ことではありません。それはキリストのために氾濫している河(迫害)を渡ること、命を懸けることです。その時のキリストは重い。「キリストフォロ」はそれを貫いたために保護者、道案内人として慕われるようになりました。「キリストフォロ」に関する伝説がよく知られているのにその教訓が忘れかけられているような気がします。
日本の殉教者に関する話が知られ、彼ら彼女らが列福されることに対して疑問を投げ掛ける意思は毛頭ありませんが、それに留まらず殉教者の模範に倣って、現在社会の中で私たちが生きるべきであることをもっとアピールし、強調してはと思います。その認識が薄ければ私たちは“重いキリストを運ぶ”ことを避け、美化された過去へ逃避しかねないからです。
現在社会の中でイエス・キリストを証ししようとすれば、キリストは“重い”ことがよくわかります。イエスを選び、イエスを証しする(運ぶ)ことは −今の日本では命までとは言わないが− 様々なことを犠牲にすることを要求しています。
私たちはどこまでそれを意識し、それに挑む意思を養い、実行しようと心掛けているでしょうか。
2007年2月号
ベリオン・ルイ神父
我が道を行く(No.137)
私は「MY WAY」という曲を好んで歌います。もともとフランスの詩人が作詞した歌で、PAUL ANKA(ポール・アンカ)、FRANK SINATRA(フランク・シナトラ)という有名なアメリカ人歌手に歌われたため、その英語版は全世界に広まりました。「MY WAY」という歌は“我がまま”“気まぐれ”“勝手”を賞賛しているのではありません。責任を持って自由に生きる、つまり勇気と誇りを持って、人間として相応しく生きることの大切さを歌っています。
2007年を迎えて「我が道を行く」ことについて考えてみてはいかがでしょうか。
しかし私たちキリスト者にとって「我が道を行く」ということは何を意味しているでしょうか。
“生きるにあたって、どの道を選べばいいのか。”“この道を選ぶことが正しいのか。”就職、結婚、学校、受洗など、人生の岐路に立った時、きっと皆さんもこのような迷いに直面したことがあるでしょう。それを避けることができません。これらの道の選択は、自分の自由意志に基づくものですが、同時にその自由にはかなりの限界があることを時には思い知らされます。私たちにとって、どうしようもないことが多くあることは確かです。生まれた環境、置かれている状況、自分の可能性、おそいかかる病気や不幸など。自由に生きるということは、実現出来ない夢のように目に映ることがしばしばです。
それにしても、私たちの自由意志による決断の出来る範囲が狭いと決め付けてはならないと思います。人生の大きな岐路に立つ機会はそれ程多くはありませんが、小さな交差点は日常茶飯事的に存在しています。フランスには次のことわざがあります。「一生の中で英雄になれるチャンスは稀だが、卑劣漢になる危険性は毎日何回もある」と。きっと今年も小さな岐路、私たちの自由意志の働きを求める選択は度々訪れるでしょう。その時に、イエスの次の言葉を静かに黙想するように勧めたいと思います。「ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である」と。(ルカ16.10) キリストの者となった私たちにとって、きっと今年もYESかNOかとの間に度々選ぶ必要が現われて来るでしょう。イエスにYESかNOか。イエスを信じる私たちにとって、「我が道を行く」ということは、自分の自由意志でイエスの道を歩むことを意味していると思います。責任を持って、勇気を持って、誇りを持って。
私たち一人ひとり、そして私たちの共同体は、イエスの道を歩むことによって日々出会っている人々のために、イエスへの道案内となることが出来ますように切に祈りたいと思います。
皆さんが良い年を迎え過ごすことが出来ますように、心から神の豊かな祝福を祈ります。
2007年1月号
ベリオン・ルイ神父
エルサレムへ上ろう(7)(No.136)
今年の4月18日から5月2日までのエルサレムへの私たちの信仰の旅は終わろうとしていました。…
− 師走を迎えた2006年に合わせてこの旅に関する分かち合いの話に終止符を打つ時がきました。聖書に相応しい数字、7回目の話をもって。又、イエスの誕生を祝う時期に相応しく、ベツレヘムに関する思い出を持って。−
4月28日(金)。ベツレヘム。ベツレヘムに近づいた途端に私たちの目は8メートルもする分離の壁にぶつかりました。そしてそれを囲んでいる有刺鉄線。それにそびえる展望哨の上に立ち並んでいるアンテナ、レーダー、歯をむき出す獅子のような機関銃。壁の高さに合わせてぶら下がっている看板。その看板の上に大きな字で「平和があなたがたと共に」と書いてありました。皮肉?偽善?それとも人が消したくない希望、果てしない夢?案内の標識には「EXIT」(出口)と書いてありましたが「入口」という字が見当たりませんでした。長い時間をかけて、見張っている兵士の姿がほとんど見られず、スピーカーから出る冷たい声に誘導され、SF映画を思い起こさせる非武装地帯を経て、パレスチナ自治区に入りました。ベツレヘム。ローマ軍に占領され、ヘロデ王に支配されていたイエスの時代の状態を近代化にした様子。…
ベツレヘムよ、泣きたくなるような、胸が張り裂けそうな気持ちで私はあなたを訪れました。その心を和ませたのは、町外れにあった小さな洞窟でした。このような洞窟でヨセフとマリアの愛情に包まれて、およそ二千年前に、私が心の奥底から信じ、愛している神の子イエスは誕生しました。そしてその中で素朴な飼葉桶。板で粗末に作られていた箱。「箱」。イスラエルの歴史において、最も意味深い言葉。神による救いの素晴らしいシンボル、「箱」。ノアの箱舟、モーセの箱(かご)、契約の箱。イエスによってそのシンボルの意味が完成され、飼葉桶(箱)に寝かされたのは救い主そのものでした。生まれたばかりの子羊が飼葉桶に寝かされていたように、神の子羊として生まれたばかりのイエスもその「箱」に寝かされました。ルカによる福音書(ルカ2.3−7)を読みながらイエスの地を訪れて初めて私はひれ伏す心境を抱きました。…
世界中の観光地と同じようにイスラエルとパレスチナ自治区にも禁煙、撮影禁止の規制が記されているパネルは建っています。しかしこの地で見たパネルは私を驚かせました。−「NO GUN」−(銃の持込禁止)! 観光地だけではなく、その地で、そして全世界で、それが実現すればと願うばかりです。…
イスラエルの民が口を極めて称賛している地、パレスチナ人が武器を手にして要求している地、イエスの目が眺めた荒地と湖、野の花と建物、イエスの耳を楽しませた鳥のさえずり、イエスの足が踏んだ土、イエスの心に響いた御父の言葉、それらを自分の胸に刻みながら、信仰の旅をしました。神との新たな出会い、歴史との触れ合い、厳しく悲しい現実との衝撃、それらすべてを振り返り、今、私の内に何が残っているでしょうか。
神は、雲の上での存在ではなく、人の想像から生まれたものでもなく、神は真におられ、共におられ、人となられて、今も私たちに声をかけ、現在社会と世界の中で働き、私たちを導いておられる方であることを新たに確信しました。21世紀のために福音こそは救いへの道、人類にとって正に嬉しい知らせです。その知らせを受け入れる人が増えれば増える程、個人も人類も真の幸せと平和を分かち合うことが出来ます。しかしいかに二千年の歴史は短いものか、いかにその希望が叶えられ、その夢が成し遂げられるまでの道のりは長いかを痛烈に感じました。
今終ったエルサレムへの私たちの信仰の旅は、私にとって新しい旅への呼びかけとなりました。リュックサックの中に聖書を入れて、神の言葉と共に旅をしましたが、今からもう一度、その言葉を道しるべにして、勇気付けられて、イエスに従い、イエスと共に新たな旅へと出発します。2週間の間に与えられた恵みに感謝しながら、皆さんと心を合わせて今年のクリスマスを迎えたいと思います。
(終)
2006年12月号
ベリオン・ルイ神父