一旦停止(No.165)

私たちは間もなく聖週間に入り、イエスのこの地上での最後の夕食、受難と死、復活を記念する日々を迎えようとしています。その典礼を大切にし、その典礼を、日常生活を潤す泉にするようにと心からお勧めしたいと思います。その典礼は忙しい毎日の生活、「時」の流れの中で、「一旦停止」することを呼び掛けているのではないでしょうか。
 現代社会と世界を見ると思う事ですが私たち一人ひとりにとっても、人間として、キリスト者として生きる為にアクセルばかりではなく、ブレーキを踏む事、止まる事は必要です。高速道路には緊急停止のための車線があるように、私たちの生活の中でもそのような“空間”を作ることが最も大切なことだと思います。歩んだ道を振り返るため、どうして何のために自分が生きているのか、何に向かって走っているのかについて、自分の行き方を問い掛ける為、間を置いて静かにイエスを通して神は私たちに求めていることを再確認するためです。四旬節は“荒れ野”に退くように私たちを誘っていたように、聖週間も記念されることを静かに味わい黙想するように誘っています。どうか皆さん、神から私たちに与えられているその恵みの時を逃がさないように心掛けましょう。
私事で恐縮ですが数年も前から自分の司祭としての人生において「一旦停止」する必要性を感じ、司祭の生涯養成の一環として教会が定めているSABBATICAL.YEAR(安息の年)を司教様に御願いしたところそれは受け入れられました。そのために復活祭の祝日をもって黒崎教会から離れることになりました。その一年の間、まず休暇のため6年ぶりにフランスに帰り、日本に戻ってからはパリミッション会の八幡東区にある本部に住むようになります。40年の司祭生活を振り返り、聖書や神学などを勉強し、祈りながら命が与えられる限り、どう宣教師として生きて行けば良いのかという事について聖霊に導かれてゆっくりと考えてみたいと思います。
皆さんの日々の生活を思うと、自分が随分恵まれており、贅沢が許されていることは十分に分かっています。だから一年経ってから一層、神の民イエスキリストの共同体に奉仕することが出来るためにその時間を有意義に過ごし、宝のように大切にしたいと思います。
皆さん、14年間本当に大変お世話になりました。人生は一期一会の繰り返しですが、私にとってこの黒崎教会での14年間は皆さんのお蔭で人間として、司祭として幸せに満ちた日々でした。皆さん一人ひとりにお礼を申し上げ心から感謝致します。
不幸にして、私の不注意のために不愉快な思いをし、傷つけられた方がおられるとすれば、この場を借りて謹んでお赦しを乞い願います。
神の導きと支えのお蔭で福音を土台にして共に築き上げようとした黒崎の共同体は一層イエスキリストの豊かなものとなるために聖霊を祈りながら、この最後の「一言」をサインさせていただきます。
また会う日まで
2009年4月号
ベリオン・ルイ神父

Comments are closed.