そして イエス・キリストへの信仰(No.142)

 平戸大橋の下に潮流が西の方へ流れて行く。沈んでいる夕日とのランデブーのためでしょうか。小魚を狙っているとんびが優雅に風に乗っている。港を出て行く漁船のエンジンが林に隠れている小鳥のさえずりを乱していません。静かな、穏やかな幸せの一時。カラスのかれた鳴き声さえなければ。
5月3日(水)平戸口。その日、黒崎から40名で旅行案内が唱えている「歴史とロマンの島、平戸」へ参りました。。。。
 紐差教会からの帰り道に根獅子ヶ浜の切支丹資料館とマタラ神父の墓を訪ねました。天文19年(1550年)6月フランシスコ・ザビエルは平戸の上陸し,更に9月に1ヶ月滞在し、その間に100人が洗礼して、長崎の教会の歴史が始まりました。後にその地は切支丹の里となり、大勢の信者はイエス・キリストの信仰を証しするために殉教しました。19世紀の終わりに(明治6年,1893年)信仰の自由が認められましたが、切支丹の子孫の一部は教会に加わることを拒みました。「納戸(なんどり)神信者」とも言われているその隠れ切支丹は今日でも納戸の中に“聖なるご神体”を大切に隠し、礼拝していますが、その人数は極端に減りその行く末は危うくなってきました。切支丹資料館を去りながらふと歴史とイエス・キリストへの信仰との関係について様々な思いが浮かびました。
 パリ・ミション会の先輩マタラ(MATRAT)神父(1856年〜1921年)の墓(田崎)を囲んで共に祈った時に一層その想いにやけました。歴史的な遺産、過去の歴史の足跡は実に貴重で、感謝を呼び起こすのですが、私たちにとってそれはイエス・キリストへの信仰と強くつながっていなければ、その場を訪ねる旅はロマンで終わってしまうのでは、と。イエス・キリストへの信仰は過去の歴史を大切にしながらも、今からの歴史を作ることを呼び求めていると思います。根獅子ヶ浜の隠れ切支丹の子孫の一部は_理由が何であれ_そのことを見落としたのではと、ちょっと寂しい想いをしました。イエス・キリストへの信仰とのつながりのしるしとなったのは、遠くから訪れた宣教師たちでした。隠れていた多くの切支丹が彼らを迎えることによって250年近くもの間、隠れて証しし続けた信仰を、公に証しすることになりました。
 40年間平戸とその地方で活躍したマタラ神父は65才で亡くなりました。同じ年になり、39年前に日本の地を初めて踏んだ私は、その墓で100年前の兄弟に出会ったような気がしました。同時に過去としての歴史に感謝しながら、今日築き上げられている歴史の大切さを再確認し、誇りと勇気を持ってそれに協力することを新たに決心しましたフランシスコ・ザビエル、隠れ切支丹、マタラ神父に次いで、間もなく私も、日本の教会の過去の歴史の無名の遺産になりますが、7月にはパリ・ミション会の若い司祭は日本に遣わされてることになりました。過去も現在も未来も歴史は父なる神の御手にあり、イエス・キリストへの信仰の内に密接に結ばれています。
 平戸への旅は私にとってロマンの旅だけでなく、歴史の中での信仰の旅でもありました。
 
2007年6月号
ベリオン・ルイ神父

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