小さな群れよ。恐れるな(No.125)

 この「一言」を読まれる皆さん、明けましておめでとうございます。
 私たちが迎えている2006年はどんな年になるか、私たちにはわかりません。きっと嬉しいことも悲しいことも、予定通りのことも思い掛けないことも、私たちを待っているでしょう。大切なことは、イエス‐キリストへの信仰のうちに、イエス‐キリストに倣ってそれを迎えるように心掛けることだと思います。司祭だからその決まり文句のような言葉を並べているのではありません。その文章は決して“職業病”の症状ではありません。・・・イエス‐キリストのように父なる神の手にすべてを委ねることによって、不安の中にいても、心の安らぎを得ることが出来ると信じているからです。2006年の間に、ルカによる福音書にある、イエスの次の言葉を黙想し、個人的にも共同体としても、その言葉を一年の歩みの「杖」にしてはと思います。不安を抱いていた弟子たちを力づけるために、イエスはおっしゃいました。「小さな群れよ。恐れるな」と。(ルカ12.32)
* 1998年11月23日に始まったことです。北九州地区信徒協主催の研修会で、信徒も司祭も、「21世紀に向けて」ということについて考え始めました。
* 1999年1月23日(土)、24日(日)の研修会で、「明日の教会に向けてそのあり方を考える」−10年後75歳以下の司祭の数は半分に減る?−という題をもって、一歩進んで考えました。
* 黒崎では、そのテーマについて4回も(1999年の45号、46号、47号、48号)「一言」を書き、その年の5月2日、地区集会の前にもそれについて皆さんにお話したことを覚えています。それを通して“教会とは何か”“司祭と信徒の立場と役割とは”“司祭に頼ることと司祭に依存すること”“宗教的なグッズ(商品)を求める消費者から、共同体の一員となることへ”などのことについて、度々考えてきました。
* あれから7年も経ちました。その間、何が、どのように変わったのでしょうか。
 今、北九州にもすでに司祭不在の小教区があります。そして今からその状態が増えていくでしょう。福岡教区の上に“リストラ”の冷たい風が吹き始めたのでしょうか。
 −今から訪れるのは、“リストラ”の時代ではなく、“脱皮”の時代だと私は強く期待しています。しかし、そのために求められているのは、管理者ではなく、聖霊の使者、組織を重んじる人々ではなく、神の民に仕える人々です。今までの習慣の上に居座り、今までの教会の姿にこだわり、美化された過去を懐かしがるだけではどうにもなりません。また、仕方なくやるのではなく、今はチャンスだ、今は恵みの時だ、と信じて、希望に燃えて偉大な“作業”と取り組むために、共に(信徒、修道者、司祭、司教)力を合わせることが必要だと思います。今は“脱皮”の時です。重い腰を上げて、目と心を開き、常に“新しいぶどう酒”(イエスの福音)を常に“新しい草袋”(私たち一人ひとりと教会)に入れるように心掛けましょう。そうすれば、いつもすべてを新たにする聖霊は、妨げなしに自由に十分に私たちと教会の中で働くことが出来るでしょう。そして神の不思議な業のおかげで教会は新しい夜明けを迎えることが出来るでしょう。「小さな群れよ。恐れるな」どうか皆さん、イエスの言葉をしっかりと心に留めて、希望のうちにこの新しい年を共に過ごしましょう。
2006年1月号
ベリオン・ルイ神父

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