パウロ年(No.163)

子供の頃よくパズルを作りながら遊んできました。今と違って完成された状態のパズルの絵や写真がなかった為、全体像がわからないまま、バラバラだったピースを合わせるようにしていました。終わってからしか全体像が目に映りませんでした。その事を“たとえ”にして考えようとすれば、イエスに対して初代教会がされた事は分かり易くなるのではないかと思います。
イエスが復活して生きておられるという信仰の内に教会はイエスの言葉としるしを思い起こし、その事を「律法と預言者」と照らし合わせ、直面していた問題や置かれていた歴史的な状況_つまり様々な“ピース”を合わせてイエスが誰であるか、何の為に現れたのか教会の存在の意味と使命とは何か。キリストの弟子に要求される生き方などの事に対する理解を深め、それを教え最終的に書物の形でそれをまとめるようにしました。すなわちパウロの言葉を借りて言えば、教会は「神の秘められた計画」を読み取る事が出来るようになったと言う事です。“計画”という言葉は初めから全てが決まっておりプログラムされているという印象を与えかねないので、“神の秘められた思い”と訳したほうが望ましいかもしれません。“秘められた”それは隠されていたという意味ではありません。神はご自分の“思い”を隠した訳ではないからです。ただ人の目には神の“思い”の全体像がなかなか映らず、隠されていたかのように見えただけです。
神の“思い”とは人類を救い、解放し、自由にする事によって人を“幸いな者”にする事です。イエスの内に人となられる事によって、神はその“思い”を成し遂げました。
早くもそれを理解し、告げ知らせたのはイエスに“ぶつかって”から(使徒言行録9.3_5)のパウロでした。手紙の中でパウロは度々(コロサイの信徒への手紙1.27-4.5など)「神の秘められた計画」について語っている事を皆さんもご存知の通りです。
−そのパウロの事ですが−
パウロに対する評価は様々です。パウロをまるでキリスト教の“創立者”のように扱っている人がいればパウロはイエスの教えを“歪めた”と批判する人もいます。パウロが生きていればきっとこのような極端な評価に対して憤慨するでしょう。パウロが書いた事を正確に評価する為に“福音書”と“手紙”の違いを意識しなければなりません。福音書が書かれた目的とパウロが手紙を書いた理由は全く違っていますので、それを正しく把握しなければ色眼鏡で見る事になり、感情任せの解釈に成りかねません。
福音書は人が「イエスは神の子メシアであると信じる為、又信じてイエスの名により命を受ける為に」(ヨハネ20.31)書かれたものです。その為に教会の信仰の内にイエスご自身その教え、行い、生き方が見直され紹介されています。ところがパウロの手紙が書かれたのは誕生したばかりのキリストの共同体を励まし、導き、支え、必要な場合は咎める為です。
パウロが自分に「伝えられた事」(参照:第一コリントの信徒への手紙15.1_7など)を自分なりに、しかし勝れた形で伝えようとしています。パウロは福音、イエスとその教えに忠実に宣べ伝えた上で共同体が直面していた具体的な問題に答える為に手紙を書きました。誰よりもイエスの事を深く理解し、その教えの新しさと拡がりを察したパウロはたとえローマの信徒への手紙の中のように見事な“神学”を展開したとしても、決して博士号を取る為のような論文を書いたのではありません。彼が手紙を書いたのは、イエスの位置の唯一性を強調するためです。【私はあなた方の間でイエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外何も知るまいと心に決めた】と。(第一コリントの信徒への手紙2.2)
たとえ誕生したばかりのキリストの共同体にパウロは大きな影響を及ぼしたとしても、彼はキリスト教の“創立者”でもなければ、尚更イエスの教えを“歪めた”のでもありません。
「パウロ年」に当って、常にパウロから学ぶ事に励みたいと思います。
今月の27日から始まるも黙想会の間にその機会がまた私たちの共同体に与えられますので、是非それを逃がさないように心掛けましょう
2009年2月号
ベリオン・ルイ神父

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