エルサレムへ上ろう(7)(No.136)
今年の4月18日から5月2日までのエルサレムへの私たちの信仰の旅は終わろうとしていました。…
− 師走を迎えた2006年に合わせてこの旅に関する分かち合いの話に終止符を打つ時がきました。聖書に相応しい数字、7回目の話をもって。又、イエスの誕生を祝う時期に相応しく、ベツレヘムに関する思い出を持って。−
4月28日(金)。ベツレヘム。ベツレヘムに近づいた途端に私たちの目は8メートルもする分離の壁にぶつかりました。そしてそれを囲んでいる有刺鉄線。それにそびえる展望哨の上に立ち並んでいるアンテナ、レーダー、歯をむき出す獅子のような機関銃。壁の高さに合わせてぶら下がっている看板。その看板の上に大きな字で「平和があなたがたと共に」と書いてありました。皮肉?偽善?それとも人が消したくない希望、果てしない夢?案内の標識には「EXIT」(出口)と書いてありましたが「入口」という字が見当たりませんでした。長い時間をかけて、見張っている兵士の姿がほとんど見られず、スピーカーから出る冷たい声に誘導され、SF映画を思い起こさせる非武装地帯を経て、パレスチナ自治区に入りました。ベツレヘム。ローマ軍に占領され、ヘロデ王に支配されていたイエスの時代の状態を近代化にした様子。…
ベツレヘムよ、泣きたくなるような、胸が張り裂けそうな気持ちで私はあなたを訪れました。その心を和ませたのは、町外れにあった小さな洞窟でした。このような洞窟でヨセフとマリアの愛情に包まれて、およそ二千年前に、私が心の奥底から信じ、愛している神の子イエスは誕生しました。そしてその中で素朴な飼葉桶。板で粗末に作られていた箱。「箱」。イスラエルの歴史において、最も意味深い言葉。神による救いの素晴らしいシンボル、「箱」。ノアの箱舟、モーセの箱(かご)、契約の箱。イエスによってそのシンボルの意味が完成され、飼葉桶(箱)に寝かされたのは救い主そのものでした。生まれたばかりの子羊が飼葉桶に寝かされていたように、神の子羊として生まれたばかりのイエスもその「箱」に寝かされました。ルカによる福音書(ルカ2.3−7)を読みながらイエスの地を訪れて初めて私はひれ伏す心境を抱きました。…
世界中の観光地と同じようにイスラエルとパレスチナ自治区にも禁煙、撮影禁止の規制が記されているパネルは建っています。しかしこの地で見たパネルは私を驚かせました。−「NO GUN」−(銃の持込禁止)! 観光地だけではなく、その地で、そして全世界で、それが実現すればと願うばかりです。…
イスラエルの民が口を極めて称賛している地、パレスチナ人が武器を手にして要求している地、イエスの目が眺めた荒地と湖、野の花と建物、イエスの耳を楽しませた鳥のさえずり、イエスの足が踏んだ土、イエスの心に響いた御父の言葉、それらを自分の胸に刻みながら、信仰の旅をしました。神との新たな出会い、歴史との触れ合い、厳しく悲しい現実との衝撃、それらすべてを振り返り、今、私の内に何が残っているでしょうか。
神は、雲の上での存在ではなく、人の想像から生まれたものでもなく、神は真におられ、共におられ、人となられて、今も私たちに声をかけ、現在社会と世界の中で働き、私たちを導いておられる方であることを新たに確信しました。21世紀のために福音こそは救いへの道、人類にとって正に嬉しい知らせです。その知らせを受け入れる人が増えれば増える程、個人も人類も真の幸せと平和を分かち合うことが出来ます。しかしいかに二千年の歴史は短いものか、いかにその希望が叶えられ、その夢が成し遂げられるまでの道のりは長いかを痛烈に感じました。
今終ったエルサレムへの私たちの信仰の旅は、私にとって新しい旅への呼びかけとなりました。リュックサックの中に聖書を入れて、神の言葉と共に旅をしましたが、今からもう一度、その言葉を道しるべにして、勇気付けられて、イエスに従い、イエスと共に新たな旅へと出発します。2週間の間に与えられた恵みに感謝しながら、皆さんと心を合わせて今年のクリスマスを迎えたいと思います。
(終)
2006年12月号
ベリオン・ルイ神父
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