求道者と共に歩む(No.115)

 10年も前から、毎週と言っていいほど、感謝の祭儀の終りに口で案内し、毎月“せいかぞく誌”に載せてきたお知らせがあります。それは、求道者の集まりのためのお知らせです。それをするには、それなりの理由があります。
 皆さんもご存知のように、教会にとって四旬節は求道者の季節です。四旬節の主日の典礼は、求道者を中心に行なわれていると言っても過言ではないでしょう。第二バチカン公会議以来、教会は自分の古い伝統を復活させ、教会共同体の参加のもとに、洗礼前に段階的に典礼を行い、入信希望者の上に神の恵みを祈り求めることになりました。教会共同体の参加のもとに行なわれる種々の祭儀を通して、入信(洗礼、堅信、聖体)希望者は次第に共同体の中に受け入れられて行くと同時に、共同体自らも宣教と回心の是非について新たに意識を高めることが出来ます。こうして教会共同体は、宣教活動と共に典礼行為を通しても、再びキリストの教会作りに励むことが出来るのです。
主日毎に様々な祈願を通して、入信の秘跡に向かって歩んでいる方々のために、又、その方々と共に共同体は祈るのですが、典礼において、特に三段階が大切にされています。入門式、洗礼志願式、入信の秘跡の祭儀です。
 
 私たちの共同体において、今年は入門式が去る2月13日に行なわれ、洗礼志願式は3月13日、入信の秘跡の祭儀は復活前夜祭の3月26日に行なわれます。共同体にとって、新しい兄弟を迎えること以上、大きな喜びがないと思います。それは、その共同体が本当に活きた信仰に生き、その共同体を通してイエス−キリストが証しされ、その共同体を通して聖霊が働いているしるしです。
 それにしても、私たち一人一人は、十分にそれに協力しているかということについて、自分自身を問いかける必要があるのかもしれません。
 その点においても、まだ多くの方は、司祭に依存してしまうのではないかと時々寂しい思いをします。確かに、イエスと教会の教えを紹介することは、司祭の嬉しい、重大なつとめですが、それは司祭にのみ任せることを意味しているのではありません。人を誘い、初心に戻ってその人と共にイエスへの道を歩み、もう一度求める心をもっと学ぶことの大切さを意識することは、信徒にも求められていることを忘れてはならないと思います。人の代父、代母になることは、いかに素晴らしく有難いことか、その経験はいかに大きな恵みであることか、皆さん、最近それについて真剣に考えたことがあるでしょうか。
 50年以上も前から、求道者と共にイエスへの道を歩み続けてきた私は確信します。キリスト者の人生において、これ以上の素晴らしい体験がありません。神に常に感謝せずにはおられません。教えることが出来ない程、そのおかげで神の不思議な業に触れ、それに対して感嘆し、イエスがまさに今も生きておられることを私は体験を重ねてきました。
 しかし、そのつとめを司祭にのみ任せるのではなく、皆さんもその掛け替えのない体験を味わうために、人を誘い、共に歩むように心掛けることの責任を思い起こしてほしいと思います。それによって必ず自分の信じ方が変わり、習慣や惰性のためにしおれていく信仰が豊かになり、イエス−キリストへの証しは更に確かなものとなり、教会作りは確実に行なわれるに違いありません。
求道者のために祈る共同体だけではなく、黒崎にあるキリストの共同体は、求道者と共に歩み、求道者へのアピールとなる共同体を目指すために、この四旬節の間に認識を高め、新たに努めてみてはと思います。
2005年3月号
ベリオン・ルイ神父

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