神の命の息吹き(聖霊)のうちに生きる(No.164)

神の命の息吹き(聖霊)のうちに生きる_
-3月号-
どうしてか分かりませんが、先日久し振りにフランスの有名なコメディアンの30数年前の話が急に頭に浮かびました。
 小さな村に一人の外国人がやって来ました。お店を営んでいた村の人が彼を雇いました。
その外国人は性格が大人しく、仕事も真面目だったので、いつの間にか村の人々に受け入れられました。数年経ってから店の持ち主が亡くなり、彼は店を受け継ぐ事になりました。初めは評判も良く、村人とも相変わらず旨くいきました。
ところが村では自分達が“偉い”と思い込んでいた人達の態度ややり方に対して彼は批判の声を上げ始めた為、その“偉い”人達の反感を買ってしまいました。“偉い”人達は彼に対して偽りの噂を流したり、黙らせようとしたりしましたが、彼は譲らずそれに立ち向かった為、“偉い”人達が彼を村から追い出す運動を始めました。村の人々は彼に関する噂はデッチ上げだと分かっていましたが、“偉い”人達から白い目で見られる事を恐れて黙ってお店を利用しながらも彼と親しく接する事を控えました。次第に感情が激しくなり、とうとう村の“偉い”人達は「この“外国人”はフランス人のパンを食べている」(寄生虫)と訴え村を出て行くように追い詰めました。村で暮らす事が不可能になり、ある日彼は「フランス人のパンを食べているなんて、馬鹿げている」と憤慨しながら村を去って行きました。その日から村の人々はパンを食べる事が出来なくなりました。彼は村の唯一のパン屋さんだったからです。
 コメディアンの話し振りや仕草はとても滑稽で話を聞きながら本当に笑いが止まらないほどですが、結びの言葉が耳に入った途端、笑いは苦笑いに変わり、滑稽な話に実は真剣に考えるように誘う意味深い教訓が潜んでいる事が分かります。
その話を一つの“たとえ”として思ってみては如何でしょうか。
最後の晩餐の積で祈るうちにイエスはご自分の弟子について次ぎの事を仰いました。
「父よ、私は彼等に御言葉を伝えましたが、世は彼等を憎みました。私が世に属していないように彼らも世に属していないからです。私がお願いするのは、彼等を世から取り去る事ではなく、悪い者から守ってくださる事です」と。(ヨハネ17.14-15)
 イエスの弟子はイエスと福音を告げ知らせ、証する使命を帯びてその使命を果たす為に遣わされていますが(ヨハネ20.21)イエスに“属している”弟子はその為に“村”社会の“外の者”として見られ、その社会に向かって「NO」「違う」と言い出せば反感を買ってしまいます、イエスと同じように。しかし与えられた使命を果たす事を諦める訳にはいきません。
 その使命を果たす事はいかに重要な事かを表しているのはイエスに由来している堅信の秘跡です。3月29日初めて宮原司教様を迎えて黒崎の聖堂で堅信の秘跡が授けられる事になりました。その式の間に聖霊が送られるようにと祈りながら司教様は受聖者を握手し、額に聖香油で十字架のしるしをします。
 帆が風をはらみ船は安泰に航海する事が出来るように、神の命の息吹き(風)によって生かされる(ヨハネ20.22)人は神と共に社会の中でキリスト者として人生の道を歩む事が出来るようになります。キリスト者の人生の目的は身をもってイエスと福音を告げ知らせ証しする事です。しかしその為にはどうしても神(聖霊)の力が必要です。(使徒言行録2.1-12)
 その力を象徴的に表しているのは聖香油なのです。オリンピック大会の国ギリシャを始め、地中海沿岸の国々ではスポーツ選手にとってオリーブ油というものは欠かせないものでした。筋肉を和らげるマッサージの為、レスリングの場合は油を体に塗る事によって相手の技から逃れる為でした。
すなわち聖香油の背景には「闘う」イメージがあるという事です。キリスト者の「闘い」はイエスのように生きるため、自分に潜んでいる悪との闘い、殉教を含めてイエスと福音を告げ知らせ証しする為の闘い(努力)を指してます。
 3月29日天神町共同体から3名黒崎共同体から10名の方が堅信の秘跡を受けます。教会を訪れる青少年の少ない時代に堅信の秘跡を受ける中学生の為、そして共に祈り彼等を励まし支える意思を新たにする事はどれだけ大切な事かが分かると思います。堅信の秘跡は“儀式”で終われば本人達にとっても他にたくさんある一つの“行事”に過ぎないものになってしまいかねません。
 一年前からその日に向かって中学生達は準備を重ねてきました。ご家族の方だけではなく私達皆も共同体の未来である中学生に対して責任を感じ大いに関心を持つことを心掛けていただきたいと思います。それなしに司祭も修道士修道女も信徒のリーダーも誕生しないでしょう。
 イエスの死と復活を記念する日々に向かっての四旬節の間に堅信の秘跡が授けられる事は偶然の事ではなく、意味深い事だと思います。個人的にも共同体としても祈るうちに信仰を新たにし、自分も受けたその秘跡を通して与えられた使命を思い起こしながら3月29日を恵みの日として共に迎えたいと思います。
2009年3月号
ベリオン・ルイ神父

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