エルサレムへ上ろう(1)(No.130)

 十年も前から、水曜日毎に集まったおよそ三十名の方と共に、創世記からヨハネの黙示録まで聖書の言葉を読み、その深い意味を味わうために分析しながら研究してきました。いつかは一緒に“エルサレムへ上ろうね”という夢を抱き、2001年に計画を立てましたが、パレスチナの状態が急に不安定になったために中止をせざるを得ませんでした。幸いに、今年2006年に(4月18日〜5月2日)その夢が叶えられました。只、健康などの理由のため、共に参加することが出来なかった方がおられたことは心残りです。
 私たちが(18名)聖書の地を訪れたのは、観光のためでもなければ自己満足のためでもなく、帰ってから自慢話をするためでもありませんでした。黒崎教会の共同体から遣わされ、イエスが生活をし、福音を宣べ伝えた地を始め、聖書の舞台となった地へ神の声に心を開き、神の言葉に耳を傾けるために信仰の旅に出ました。その旅の間に味わったこと、体験したこと、確認したことを、皆さんと分かち合おうと考え、数回に渡ってこの場を借りてお話させていただきたいと思います。もちろんその「一言」の中で書かれることは、私の個人的な見方に過ぎないので、是非他の参加者の感想を伺うようにお勧めしたいと思います。
 リュックサックに入れた聖書を背負い、神の言葉と共に一日を過ごし、訪れた場所に合わせて聖書を読み、その言葉を味わい、黙想するように心掛けました。エジプトで始まった私たちの信仰の旅は、モーセ、イスラエルの民、イエスと弟子たちの足跡を辿り、ヨルダンの地で終わりました。
 出発する以前にすでによく知っていたことですが、その地を訪れて心の痛みがあることを確認させられました。その地は“聖地”ではありません。エジプト、シナイ、イスラエル、パレスチナ、ヨルダン。人々がそれを“聖地”と呼び、“聖地”と決め付けたために争いが絶えず、その地は昔も今も対立、紛争、戦争の原因とされてきました。その地は人の感情をあおり、恨みや憎しみの種が蒔かれた血まみれの地となってしまいました。国境、検問所、分離の壁。嘆きの壁を愛しくさわり、夢中になって祈り、聖書を恭しく接吻しながら銃を構えている若いユダヤ人兵士たち。イエスの時代の神殿の境内の隅に建てられたアル・アクサとオマル(岩のドーム)のモスクの立ち入りを烈しく異教徒に禁じるイスラム教徒。聖墳墓教会ですべてのキリスト者が同じ祭壇でイエスの十字架の上での死を祈ることを拒み、不幸な歴史をいまだに乗り越えることが出来ず、赦す掟を無視している様々な宗派のキリスト教徒。
 イエスよ、その地は“聖地”ではありませんでした。その地を訪れてサマリアの女に向ってイエスが説いたことの鋭さと素晴らしさ、いやイエスが述べた真実の光に一層照らされたような気がしました。「婦人よ、私を信じなさい。この山(ゲリジム山)でもエルサレムでもない所で父を礼拝する時が来る。・・・まことの礼拝をする者たちは霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。」(ヨハネ4.21〜23)
 “聖地”は人です。人の心です。しかしイエスよ、二千年経った今も、多くの人にとってそれが通じず、「時」はまだ来ていません。だからあなたしかもたらすことの出来ない平和が実現しますようにと私たちは「平和の都」“エルサレム”で心から祈りました。−その地は“聖地”ではありませんでした。−
 それにしても、シナイ、ユダ、ヨルダンの砂漠の眩しい太陽を浴びて、ガリラヤの丘の爽やかな風に頬を撫でられて、親しいメロディのように神の言葉を口ずさみながら、私は神がその地を訪れたことを身にしみて確信しました。
                                  (続く)
2006年6月号
ベリオン・ルイ神父

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