パウロ年(No.157/158)
皆さんもご存知のように、6月28日から教会は「パウロ年」に入り、来年の6月23日まで私たちはパウロに倣ってキリスト者として生きるようにと呼び掛けられています。西暦7年から10年までの間に生まれたとされるパウロの生誕2千年を祝う意味でこの1年間は「パウロ年」と定められました。
21世紀こそ福音を必要とする世紀だと確信している私にとって、とても嬉しく有り難い発表です。「パウロ年」の開幕に当たって早速皆さんとご一緒にパウロについて少し考えてみたいと思います。
「パウロはキリストが誰であるかを誰よりも正確に知り、またキリストの名を頂くキリスト者がどのような者でなければならないのかを自分の行いによって示した」と。
西暦4世紀のニッサの司教、聖グレゴリオのその言葉に賛同の印しとして拍手を送りたい気持ちで一杯です。正にその通りだと思います。しかし、元々パウロは決してその様な人ではありませんでした。パウロという名前はローマ市民としての彼の名前でしたが、ユダヤ人としてのヘブライ語での彼の名前はサウルでした。
彼はキリキヤ州(現在のトルコの南にあるタルソスという町)で生まれました。ユダヤ人でありながらローマ市民権を持つ名誉ある家族の中で育ちました。タルソスは当時ギリシャ文化が栄えた町で、サウルがユダヤ人でありギリシャ文化に詳しくローマの市民権を持つという三つの条件は同時に熱心なユダヤ教徒でもありました。
若い頃サウルはエルサレムでガマリエルという有名な先生の指導を受け、ファリサイ派に所属し聖書に関してとても優れた知識を持っていました。サウルはナザレのイエスに会った事がありませんでしたが誕生したばかりのイエスの共同体を知り直ぐ危機感を抱きました。
イエスの弟子が述べている事は本当ならユダヤ教の終幕が目に見えると判断しました。イエスの弟子はイエスが律法を完成したと言っているのですが、結果的にそれによって伝統的なユダヤ教が消えてしまいます。
「ステファノの殉教の時にサウルが立ち会った事」、「弟子達を脅迫し殺そうと意気込んだ事」、「キリスト者を縛り上げる為にシリアの首都ダマスコに行き、弟子達をエルサレムに連行する為に大祭司の許可を求めた事」(使徒言行録7_58・8_1・9_1.2)の背景にその危機感があると言えます。
キリスト者によって侮辱されている神の面目を回復する為、神の名においてサウルはキリスト者を迫害しました。自分が正しく振る舞い、神の望んでおられる事を行っていると確信し、自分が”見える”と思い込んでいました。
ところが正しい道を歩んでいると思っていたのに実はその道は袋小路でした。真の道はイエスです。ダマスコへ行く途中サウルはその事を思い知らされました。その道で起こった決定的な事なしにパウロの事を理解する事も、説明する事も出来ません。
ダマスコへの道で起こった事は聖書の中で4回も語られています。(使徒言行録9_1~19・22_6~16・26_12~18・ガリラヤの使徒への手紙1_11~17)それだけその出来事は決定的な意味を持っていることが分かります。ダマスコへ行く途中眩しい光に照らされサウルは”見えなくなりました”。
神の光に照らされると、その光はあまりにも眩しく何も見えなくなります、真昼の太陽をじっと見つめる時と同じように。その光は復活して生きていられるイエスとの出会いでした。サウルが”見えなくなった”その事は、その時までの彼の信仰の状態を言い表しています。それに相伴って「サウルは地に倒れました。」(使徒言行録9_4)
未だに多くの方はサウルが馬から落ちたと思い込んでいるのですが、4つの話を読んでも馬の事が書かれていませんし、人の想像から生まれた話に過ぎません。
大切な事は倒れたサウルがイエスの前で自分の無力さを知り、3日間見えなくなった事です。イエスが死から復活へと移ったように、サウルはイエスに対する以前の見方がなくなりイエス・キリストへの信仰に目覚めたという事です。3日目に「サウルの目からうろこの様な物が落ち見えるようになりました」と。(使徒言行録9_18)すなわちイエスの真の姿を知り信じるようになったという事です。
イエスとの出会いのショックが大きかった為にサウルは地に倒れましたが、イエスはサウルを負かしたのではありません。彼には神ほどの力が無い事を知らせただけです。だからイエスから「起きなさい」(使徒言行録9_6)と言われるとサウルは別の人になってダマスコに入りました。その体験からサウルが多く学び、自分がイエスによって立たされ、イエスのおかげで見えるようになったから「自分が弱い時にこそ強い」(コリントの使徒への手紙第2・12_7~10*「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い」コリントの使徒への手紙第1・1_25)とわかりました。ファリサイ派の熱心な派閥のメンバーから彼はキリストの素晴らしい使徒に変わりました。ダマスコへ行く道でユダヤ教のサウルはキリスト教のパウロになりました。
私たちはパウロのような強烈な体験をした事がないでしょうし、パウロと同じ体験をする事を期待する事も出来ないでしょう。それにしても彼の体験から様々な事を学ぶ事が出来ると思います。多かれ少なかれ私達も”見える”と思い込み、実はまだまだ見えない者であるからです。
口では宣言している信仰と実生活との間の隔たりはそれを表しているのではないでしょうか。見えない状態から見える状態に移るために何らかの形でダマスコへの道に於いてサウルに起こった事を私達も味あわなければならないと思います。
それはイエスとの決定的な出会いです。その出会いのおかげで必ず目からうろこが落ち生き方が変わります。
今から1年もの間、私達一人ひとりがその事を体験する事が出来る様に、その恵みを味わう事が出来る為にパウロと共に歩んでみたいと思います。
2008年8・9月号
ベリオン・ルイ神父
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