エルサレムへ上ろう(2)(No.131)
エジプト。走馬灯のように様々な光景が目に浮かびます。− スフィンクスの不可解な表情 − ピラミッドの優雅な姿 − 目路の限りリビアの方へ拡がっていく砂漠 − 近代的な建築を囲んでいるスラム − カイロのコプト(マルコに遡るエジプトのキリスト者)地区の古いシナゴーグ(ユダヤ人の集会所)の横にあるモーセの井戸(モーセはファラオの王女に発見されたと言われる場所:出エジプト記2.5〜10)−市場にあふれる野菜と果物 −。いくらシナイ半島のオアシスのなつめやしの実が美味しくても、ヘブライ人の不平不満が(民数記11.4〜6)よくわかります。
そしてシナイ山。
夜中にラクダのふんを避け、偉そうな顔をしているラクダに道を譲りながら、砂利の山道を登り始めました。懐中電灯を手にする人の行列−山の下から上まで蛇行した蛇を思い起こさせる。光の糸−闇の中でこだまするベドウィ人の声、“カメル”(英語)“シャモ”(フランス語)“ラクダ”−。ついに険しい岩場を乗り越えて、シナイ山の頂上につきました。「神の山」ホレブ山(シナイ山)はどの山を指しているのか。モーセはどういう人物だったのか。モーセと共にエジプトから逃げた、あるいは追放されたヘブライ人たちは、どんな人々だったのか。歴史学者は今でもそれに答えるために必死に研究を続けているのですが、なかなか正確なことを断定することが出来ません。それは数百年もの間、聖書が一つの信仰の内に様々な部族の記憶に残っていた昔話を、何度も書き直したからです。
しかし、歴史、地理、起こった出来事も正確に記録されたかどうかは問題ではありません。大切なことは、その“物語”を通して出エジプト記、レビ記、民数記、申命記が紹介していることです。それはイスラエルの信仰です。イスラエルはモーセを通して神に出会い、神とイスラエルの民との間に契約が結ばれ、イスラエルは神の民として誕生したという信仰です。
私たちがシナイ山に登ったのはモーセがその山に登ったからではありません。
神との出会いの尊さ、人類の歴史の中で共に歩む神との交わり、生活の中でそれに生きることのむづかしさ、それらのことを思い出し、新たに自覚し、今からそれにもっと相応しく生きる決心を改めるために、何時間もかけて私たちはシナイ山に登りました。
薄雲の中からゆっくりと上る新しい一日の太陽を眺めながら、私は60年間の信仰の旅を静かに振り返りました。
人々が去ってから、私たちは頂上で腰をおろし、聖書を開き、神とモーセとの出会い(出エジプト記3.1〜15)、神とイスラエルの民との間に結ばれた契約(出エジプト記19.20)の話を読み、味わい、黙想しました。
18名全員がシナイ山の山頂まで登ることが出来ませんでしたが、そこに集まっていた私たちは、ふもとに残っていた人、途中まで上った人、そしてはるか彼方の日本での黒崎共同体の皆さんと心を合わせて、イスラエルの民の神、イエスの父に感謝しながら、その神を称えて賛美しました。
その時に私は確信しました。「神の山」の上でのそよ風は、モーセとエリア(列王記上19.3〜15)の時代と同じように今日も神の声を運んでくれる、と。
(続く)
2006年7月号
ベリオン・ルイ神父
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