エルサレムへ上ろう(5)(No.134)

 「エルサレム」。町の交差点の信号を見て初めて気付きました。日本と同じように、青から赤に移る前に信号は黄色になりますが、イスラエルでは赤から青に変わる前にも、信号は再び黄色になります。きっと交通安全のためでしょうが、それは一つのシンボルとして私の目に映りました。戦争(赤)と平和(青)の間に揺れ動く(黄色)、イスラエルとその象徴エルサレム。
 「エルサレム」。4月26日(水)オリーブ山からエルサレムを眺めているうちに、イエスの姿が目に浮かび、次の言葉が耳に響きました。「エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ。めん鳥がひなを羽の下に集めるように、私はお前の子らを何度集めようとしたことか。だがお前たちは応じようとしなかった。」と。(マタイ23.37)イエスの嘆きを思い出して、胸が締め付けられた感じがしました。夕日の柔らかい光を暖かく反射するエルサレムの壁。その日の温もりを静かに吸収しているベージュ色のエルサレムの石。美しい町エルサレム。
 −ユダヤ教、キリスト教、イスラム教。歴史と伝説、銃と信仰、生と死。入り交じっている人の尊さと恐ろしさ、偉大さと愚かさ。人の心の中に潜んでいるすべてを反映し、象徴している町、エルサレム。
 −シオンの丘からベン・ヒンノムの谷を覗きました。エルサレムの南西にあるその谷を福音書はギリシャ語で“ゲヘンナ”と呼んでいます。昔、ヘブライ人たちがカナンの地に入った時、そこでカナン人は災害から守られるために、自分たちの神々に子供たちをいけにえにしていました。残念なことにイスラエルの人々もその習慣を真似してしまいました。(エレミヤ7.31)後にその谷はごみの捨て場となり、炎と煙が渦巻いていたため、黙示文学の作者たちはその場を永遠の不幸のシンボルにしました。こんにちの“地獄”はそれに由来しています。谷の入り口に『アケルダマ』「血の土地」(使途言行録1.19)、ユダが「首をつって死んだ」(マタイ27.5)と言われている寂しい庭が隠れようとしています。陰惨なエルサレム。
 −2千年前、神殿の境内があった上に広がる広場、ユダヤ人地区、回教徒地区、キリスト教徒地区、アルメニア人地区を物思いにふけて歩き続けました。エルサレムでのイエスの言葉と行動を思い起こしながら、ゲッセマネの園からケデロンの谷の向こうにあったカイアファの家に導く石の階段を上り、イエスとシモン・ペトロの心境を必死に見抜こうとしました。そして、ピラトの官邸からゴルゴダへ。悲劇の町エルサレム。
 −この町で父なる神によって復活させられ、生きておられるイエス・キリストへの信仰に目覚めた使徒たちは、福音を宣べ伝え、証しするために、この町から地の果てへと旅立ちました。そのおかげで日本から訪れた私たちは、この町の土地を踏む恵みを与えられました。信仰と希望の町エルサレム。
 21世紀のエルサレムの現実を見て、複雑な気持ちを抱いたことを隠すことが出来ませんが、同時に私の内に抑えきれない程の感謝の気持ちも湧き続けました。バスの中でもホテルの夕べの祈りの時にも、私たち参加者は皆、詩編(122.126.137など)を歌いながら今までにない感動を覚え、父なる神を賛美しました。
 エルサレムを眺め、その石段を上り、荒野から風に運ばれる埃に晒され、様々な芳しい匂いを嗅ぎながら私は確信しました。この町にいつか真の平和が訪れて来る。そしてその日は世界の平和への先駆けになる。それによってイザヤの夢も(イザヤ60章)ヨハネの夢も(黙示録21章9−27)人類と私たち一人ひとりの夢も実現する。平和の主を迎えることさえ断らなければ…。
                                  (続く)
2006年10月号
ベリオン・ルイ神父

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