天と地のハーモニー(地球からの叫び)(No.149)

今年も教会の暦の上で一年が終り、新しい一年が始まろうとしています。待降節に入り私たちはイエスの誕生を祝う日に向かって歩み始めました。
典礼において毎年同じことが繰り返されているかのように見えるのですが、実は違います。今年も新鮮な気持ちでその時期を迎えるように呼び掛けられています。その努力を支える意味で典礼委員の皆さんは「天と地のハーモニー、地球からの叫び」と いう観点から、イエスの誕生の意味を黙想するようにと私たちの共同体を誘っています。悲鳴を上げている地球の声に耳を傾けることはどうしてイエスの誕生を祝うことに関係があるのかと思う方がおられるかもしれません。そのことについ て少し一緒に考えてみませんか。
 ルカによる福音書は「天と地のハーモニー」をイエスの誕生の物語を通して美 しく描いています。主の栄光が周りを照らし、羊飼いたちがその光に包まれ、神を賛美する天使の大軍の声が響きわたりました。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」と。(ルカ2.8-14)
ここで、まるですべてが誕生した時の神の声が聞こえてくるような気がします。 「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。」と(創世記1.31)“何と素晴らしい宇宙、何と美しい地球”。神はご自身 の業に対して感動さえしているかのように見えます。そして、それをすべて人の 手に委ねました。「すべてを支配せよ」と。(創世記1.28)「支配」、“支える” と“配る”、この地球の命を支え、その命をすべての人に分配する、ということ を意味している言葉です。言い替えれば「主」である神と同じように振舞え、「
主」である神と同じ心遣いを持って地球とその上に生きているものに仕えなさい 、ということです。ところがその素晴らしい使命を委ねられた人はエゴ(個人と 国家のエゴ)と不注意のため、つまり罪のために地球の命を危いものにしてきました。神の望みに逆らい、神の期待を裏切り、人は「支配」することを好き放題、気紛れに目先の利益のためにのみ、地球の命を食い物にすることに変えてしまいました。その結果として植物、動物、人間の命まで脅かされています。大気汚染、温暖化、大地の砂漠化、気候変動、水不足など、それはすべてと言っていい 程、人間の罪の「実」なのです。毒入りの「実」です。人間は“エデンの園”を“死の荒れ地”に変えようとしています。その罪からも私たちを解放するためにイエスはお生まれになりました。だから地球の美しさを取り戻すため、この地球 で植物も動物も人間も、もとのハーモニーの内に生きることが出来るために戦うこと、それに励んでいるすべての人に協力することはイエスの誕生を迎えるのに相応しい行動になります。カトリック教会の自然環境問題への関心は遅々として進まず、他の多くの団体機関に大きな遅れを取っているのが悲しい現状です。
創造主を拝み、愛していると口で宣言しながらも、どうして私たちの関心がこんなに薄く、私たちの動きは鈍いのでしょうか。その罪を幼子から赦していただく必要があります。1990年代から教皇ヨハネ-パウロ二世、2006年からベネジクト十六世は環境破壊とそれに伴う世界の貧しい人々への重荷と深刻な圧迫を信仰の内に認め、そしてそれを防止するために努力することを切に私たちに呼び掛けています。2007年のイエスの誕生を祝う日に向かって、「天と地のハーモニー」を目指すために、“今私は何をすべきか”というこについて真剣に考えてみてはいかがでしょうか。
2007年12月号
ベリオン・ルイ神父

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