時を刻む典礼(No.114)

 新しい年に入ったばかりだというのに、四旬節はもうすぐ始まろうとしています。灰の水曜日は目の前です。(9日) “うそ...”とつい呟いてしまいます。頭の中で、クリスマスとお正月の楽しい思い出はまだ踊っているのに、その頭の上で灰を被りましょうと言われても、ピンと来るはずがありません。
 鈍さのために、惚ける可能性があるだけに、カレンダーに○を付けることを勧めたいと思います。まず、9日に○を付けましょう。灰の水曜日の感謝の祭儀に参加し、断食を行い、祈るためにより多くの努力をすることによって、意識して四旬節に入ることが出来るために。そして黙想会が行なわれる18日(金)から20日(日)までの日々にも○を付けましょう。積極的にその黙想会に参加するように時間を作ることが出来るために。
 私たちの信仰生活において、それらは一種の修行だといっても過言ではないでしょう。柔道や剣道、茶道などには「道」という字がついています。それらの「道」を極めるためには長い努力を必要とするのは、皆さんもご存知の通りです。そしてわざを身に付けようとする人は、良い先生に導いてもらう必要のあることも、おわかりいただけると思います。「道」である福音に従って生きるためにも、絶え間ない努力が求められ、「道」でもありながら「師」であるイエスの導きがいかに必要であるかを、私たちは常に意識しなければならないと思います。典礼を通して、イエスは私たちを導き、その都度その都度、私たちに新しいことを発見させ、私たちの信仰を成長させます。また、黙想会を通して、イエスは私たちを養い育て、私たちの歩みを確かなものにします。人間はその生きていく過程において、全く何の問題意識も持たずに過ごしてしまうことがよくあります。問題意識や疑問が生じていても、それに目をつぶり、避けて通ろうとすることもしばしばあります。また、何の前触れもなく、突然目の前に現れる人生の岐路もあります。しかし無関心、逃避、油断は思いがけない時に落とし穴になってしまうことを忘れてはなりません。イエスの導きに従って生きるための努力の大切さを改めて認識したいと思います。
 2月は、典礼と黙想会、顧問会などのため、3月は共同回心式や聖週間のため、聖書の分ち合いの集まりはお休みになるからこそ、四旬節の間、個人的にいっそう祈り、聖書を読み、共同体として典礼と黙想会に参加することを心掛けていただければと思います。
2005年2月号
ベリオン・ルイ神父

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