目玉商品(No.122)

 ディスカウント・ストアなどや大規模な商店でよく売れる商品は、レジ前に並ぶお客さんの目の前に置かれている商品だそうです。商品自体はそれ程魅力あるものではなくても、つい買ってしまうようです。
 売り上げを伸ばす知恵は広告にもあります。安売りの広告に大きく取り上げられる目玉商品は、店の期待通りの効果を発揮します。この商品を求めて来るお客さんは、その目玉商品の魅力にひかれてその店に来るわけですが、お客さんたちはその目玉商品だけを買うわけでは決してなく、必ず別の商品も買っていってくれます。
 
 目玉商品。すなわち海老でお客さんである鯛を釣るわけです。
 そのたとえは、続く話に適切に当てはまるとは限りませんが、つい頭に浮かんできたからそのまま導入として書かせていただきました。
 余程のことがない限り、皆さん一人ひとりと話す機会を設けることは、私にはなかなか難しいことです。聖書の分ち合いを始め、色々な形で教会の生活に直接に関わる方々であれば、ある程度お付き合いをすることが出来るのですが、主日の感謝の祭儀にしか参加できない方々、様々な理由で教会に足を運ぶことの出来ない方々と接することは稀なことです。だから皆さんに声をかけるつもりで毎月の「一言」を書くように励んでいます。その声が届くでしょうか。その声は皆さんの心の中にどのように響くのでしょうか。最近、その一言は長くなる傾向にあり、なんとなく“説教”の色に染まってきたように自分でも感じます。一人でその「一言」を考え、書く時間も限られているから、どうしても狭い視野をもった、大した「一言」にならないことをよく承知しています。
 それにしても、それを通して私たち黒崎教会は、一つの家族、イエス−キリストの家族であることを少しでも感じることが出来れば、誠に嬉しく思います。
 −家族と言えば、聖家族の集いを思い起こします。今年はその集いが16日行われ、その集いは、人に声をかけ、人と語り合う機会であり、又、人に協力するチャンスでもあります。“私は興味ない”“私は他にすることがある”“自分の家庭の事情では無理だ”などの考えがあるでしょうが、この地域のイエス−キリストの家族は、皆のことを指しており、一人ひとりの参加、努力、協力なしに家族にならないことをも考えていただければと思います。
 今まで参加しなかった、出来なかった方々、今年はいかがでしょうか。
 イスラエルの民の信仰を受け継いでイエスは私たちに「隣人」を愛することを命じました。イエス−キリストを中心とした家族に入っている人は、自分に最も身近にある「隣人」であることを、時々私たちは忘れているのではないかと感じます。
「聖家族の集い」「聖家族誌」その中の「一言」を通して、目玉商品である「隣人」にもっと目をとめるように努力すれば、きっと私たちの共同体は「聖」家族を築き上げることが出来るでしょう。
*「一言」について意見を寄せていただければ有難い道しるべになります。もっとうまい話をしたいからではなく、私たちは一つの家族であることをもっと味わせ実感させることが出来るためです。
2005年10月号
ベリオン・ルイ神父

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