若い苗木を育てよう(No.156)

悩みと言えば大げさですが、司祭としての私の心配事の一つをこの「一言」で皆さんと分かち合いたいと思います。
せいかぞく紙6月号に〔総会報告5ページ?_第170回運営委員会報告7ページ_9〕記されている様に、青少年の教会での信仰教育について共同体として新たに考える時期が来ていると思います。
長い間私たちの教会は援助修道会のシスター達におんぶされ、シスターを中心にリーダー達が集まり教会での信仰教育が行われてきました。私も安心して携わりながらも細かい事を任せる事が出来ました。この場を借りてシスター達、特にシスター塩路やリーダーの皆さんに心から感謝の意を述べ、御礼を申し上げたいと思います。本当にご苦労様でした。
ところがどうして今になって新たに考える必要があるのでしょうか。一つの理由は司祭と同じように修道女にも高齢化と人数減少という現象が深刻になったからです。様々な分野で献身的に活躍し、積極的に協力してこられたシスター達がいなくなりつつある、その事が教会にどれ程の影響を及ぼしてくるかを意識する必要があると思います。今にも水平線に津波が押し寄せようとしているのにそれに目を止めず浜辺で暢気に寛ぐ事は災難に繋がると同じように、その状態に対して危機感を持たなければ目覚めは辛いでしょう。世の終わりが近づいたと警鐘を鳴らすつもりはありません。ただ一つの結果として青少年の教会での信仰教育をシスターを中心としたリーダーのチームに任せる時代が終わったと知っていただきたいのです。
共同体として皆関心を持ち、どのようにして教会で青少年の信仰を養う事が出来るかを共に考えるように心掛けなければならないと思います。勿論今までそのことについて考えた事がないといっているのではありませんが、他の人に“任せていた”という事は事実ではないでしょうか。
*信仰を養う事。それはまずご両親の使命と責任です。教会ではそれに協力する事しか出来ません。祈る事、何が正しいか正しくないかキリスト者として判断する事など、親は身を持って子供との対話を通してそれを教えるようにと求められています。その為に親として何を優先して生きているかを考えなければなりません。すなわち親の信仰は渡す事の出来る“品物”ではありません。だから親が信じても子供も信じるようになるとは限りません。たとえベストを尽くしたとしても。
親に求められている事は子を信じさせる事ではなく、子供が信仰に目覚める事が出来るように導く事です。その導きは何より大切な事です。
*教会ではそれに協力します。黒崎では三つの事を目指しています。1.子供が知識を得る事。誰を何を信じているか(復員を中心に)2.共同体意識を持つ事。一人で信じるのではなく、神の民、キリストの共同体、教会の一員である。3.典礼に養われ(特に感謝の祭儀、赦しの秘跡)生活している場でイエスの証し人になる事。
勿論それは理想の一種であり、短い時間で小学生3年〜6年:第二第三日曜日・第四土曜日、中学生:第二土曜日、しかも子供達の出席次第、出来る事は限られています。
14年もの間、保護者の皆さんの要望(塾・クラブ活動)を受け入れ、3回も集まる日と時間を変えリーダーと一緒に様々な工夫を凝らし模索してきました。それによって子供達はもっと確実に集まれる事が出来るという期待を持って。
多くの保護者の協力を得る事が出来たのは収穫ですが、子供たちの充実した参加は課題として残っていると思います。又、新しいリーダーの誕生も課題の一つです。募集していますのでどうぞ申し出て下さい。専門家を求めているのではありません、自分の信じているイエスキリストを子供達に知らせたいという熱意だけで結構です。一緒にやりながら様々な方法を覚えるようになりますし、それによって自分の信仰も必ず一層確実なものになります。
14年前に比べれば名簿の上では幼児洗礼が少なくなった為、小学生の人数は半分になりました。現在小学校1年から6年まで子供達は22名です。中学生は20名ですがミサに参加しても月一度の勉強に参加するのはその3分の1です。
すなわち全体的なことを見ると、教会での信仰教育は消えたわけではありませんが勢いが弱くなり衰えを感じます。その事実を隠す事が出来ないと思います。教会の将来を考えると、もう一度教会での青少年の信仰教育に力を入れる必要があると確信しています。
それを共同体の課題として扱っていただければと希望しています。その事について考える小委員会を設置してはと思います。運営委員会にその提案を出して何が出来るかと具体的に考えてみたいと思っている次第です。
どうか皆さんもそれに関心を示し、自分の事として考えていただければ幸いです。
2008年7月号
ベリオン・ルイ神父

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