小さな群れよ。恐れるな(No.125)

 この「一言」を読まれる皆さん、明けましておめでとうございます。
 私たちが迎えている2006年はどんな年になるか、私たちにはわかりません。きっと嬉しいことも悲しいことも、予定通りのことも思い掛けないことも、私たちを待っているでしょう。大切なことは、イエス‐キリストへの信仰のうちに、イエス‐キリストに倣ってそれを迎えるように心掛けることだと思います。司祭だからその決まり文句のような言葉を並べているのではありません。その文章は決して“職業病”の症状ではありません。・・・イエス‐キリストのように父なる神の手にすべてを委ねることによって、不安の中にいても、心の安らぎを得ることが出来ると信じているからです。2006年の間に、ルカによる福音書にある、イエスの次の言葉を黙想し、個人的にも共同体としても、その言葉を一年の歩みの「杖」にしてはと思います。不安を抱いていた弟子たちを力づけるために、イエスはおっしゃいました。「小さな群れよ。恐れるな」と。(ルカ12.32)
* 1998年11月23日に始まったことです。北九州地区信徒協主催の研修会で、信徒も司祭も、「21世紀に向けて」ということについて考え始めました。
* 1999年1月23日(土)、24日(日)の研修会で、「明日の教会に向けてそのあり方を考える」−10年後75歳以下の司祭の数は半分に減る?−という題をもって、一歩進んで考えました。
* 黒崎では、そのテーマについて4回も(1999年の45号、46号、47号、48号)「一言」を書き、その年の5月2日、地区集会の前にもそれについて皆さんにお話したことを覚えています。それを通して“教会とは何か”“司祭と信徒の立場と役割とは”“司祭に頼ることと司祭に依存すること”“宗教的なグッズ(商品)を求める消費者から、共同体の一員となることへ”などのことについて、度々考えてきました。
* あれから7年も経ちました。その間、何が、どのように変わったのでしょうか。
 今、北九州にもすでに司祭不在の小教区があります。そして今からその状態が増えていくでしょう。福岡教区の上に“リストラ”の冷たい風が吹き始めたのでしょうか。
 −今から訪れるのは、“リストラ”の時代ではなく、“脱皮”の時代だと私は強く期待しています。しかし、そのために求められているのは、管理者ではなく、聖霊の使者、組織を重んじる人々ではなく、神の民に仕える人々です。今までの習慣の上に居座り、今までの教会の姿にこだわり、美化された過去を懐かしがるだけではどうにもなりません。また、仕方なくやるのではなく、今はチャンスだ、今は恵みの時だ、と信じて、希望に燃えて偉大な“作業”と取り組むために、共に(信徒、修道者、司祭、司教)力を合わせることが必要だと思います。今は“脱皮”の時です。重い腰を上げて、目と心を開き、常に“新しいぶどう酒”(イエスの福音)を常に“新しい草袋”(私たち一人ひとりと教会)に入れるように心掛けましょう。そうすれば、いつもすべてを新たにする聖霊は、妨げなしに自由に十分に私たちと教会の中で働くことが出来るでしょう。そして神の不思議な業のおかげで教会は新しい夜明けを迎えることが出来るでしょう。「小さな群れよ。恐れるな」どうか皆さん、イエスの言葉をしっかりと心に留めて、希望のうちにこの新しい年を共に過ごしましょう。
2006年1月号
ベリオン・ルイ神父

闇から光へ(No.124)

 すっかりイベント化されたクリスマス・シーズンが再びやってきました。年のせいでしょうか、私は町でのクリスマスの人工的な騒ぎの空しさを強く感じ、ますますイエスの誕生の意味の深さを探り、味わいたいものです。
 イエスの誕生を祝う今年の感謝の祭儀の間に、「闇から光へ」というキャッチ・フレーズをもって、私たちの共同体は救い主の到来の意味を深めて行くように誘われています。
 「闇から光へ」。「箱」船に乗ったノアは洪水から“救われました”。「かご」(箱)に入れられたモーセはナイル川から引き上げられ、“救われました”。「契約の(箱)」を担いだ限り、イスラエルの民は敵から神の手によって“救われました”。飼い葉桶(箱)に寝かされたイエスは“救い主”そのものです。後に“神の子羊”と呼ばれたイエスは、生まれたばかりの“子羊”のように飼い葉桶に寝かされ、その後、“子羊”のようにご自分の命を捧げることによって、人類を“救いました”。こうして「闇」の状態に陥っていたイスラエルの中で「光」が射してきました。
 子供の頃、休みの間、大いに楽しみにして田舎のおじいさんとおばあさんの家に行っていました。あばあさんはよく編み物をしていて、時々いたずら心が働き、私はおばあさんの目を盗んで、毛糸を引っ張っていました。とうとうある日、完成しかけていたセーターの半分も解いてしまいました。
 おばあさんから呼ばれ、怒られることを覚悟したところ、おばあさんの言葉に驚きました。“毛糸を引っ張ることがおもしろいでしょうが、見て、今までの私の時間と苦労を無駄にしてしまったのではないでしょうか。自分のわがままのために、ものを作ったどころかこわしてしまったのではないでしょうか”と言われました。そして、おばあさんは古いセーターを持ってきて、“その毛糸を解くのを手伝って下さい”と言い、おばあさんは、その古い毛糸を丸めて、即、それを使ってマフラーを編み始めました。その時以来、私はおばあさんの言葉と行動を、一つの例えとしてみてきました。
 今の私たちの社会を見ると、人が好きなように勝手に“糸”を引っ張っているから、セーターのように家庭、学校、社会は、すこしづつ崩れて行きます。それは「闇」の一つの姿ではないでしょうか。
 しかし、その中で、昔から伝わってきた大切なものを辛抱強く、違った形で活かそうとする人々が、社会の未来を静かに編んでみようとしています。それは「光」の一つの姿ではないかと思います。
 イエスの誕生を祝おうとする私たちは、そのような「光の子」となることに呼びかけられていると思います。アッシジの聖フランシスコと心を合わせて祈りたいものです。
 「神よ、憎しみのあるところに愛を、争いのあるところに和解を、分裂のあるところに一致を、疑いのあるところに真実を、絶望のあるところに希望を、悲しみのあるところに喜びを、暗闇のあるところに(私は)光をもたらすことが出来ますように助け導いてください。」と。
 ベツレヘムでのイエスの誕生が人の目に入らなかったのと同じように、私たちの努力は、すぐ多くの人々に認められないかもしれませんが、それを惜しまなければ確実に「闇」の中に「光」が輝き続け、いつかは人々がその「星」に向って歩き始めるでしょう。
2005年12月号
ベリオン・ルイ神父

聖霊の働きを見る目を〜聖霊の導きに従うこと〜(No.123)

 *11月20日、堅信の秘跡を受ける中学生と一緒に、4月から出来るだけのこと、出来る範囲でのことをしながら、その日に向かって準備を重ねてきました。中学生は自分たちなりによく努力したと思います。それにしても子供たちは、神(聖霊)の働きを見る目を養い育て、神(聖霊)の導きに気付き、それに従うことの大切さをどこまで理解することが出来たのでしょうか。
 堅信式イコール卒業式。良く耳にする言葉ではあるし、私もよく見てきた現象です。確かに堅信式の後、中学生の時代に堅信の秘跡を受けた少年少女たちの姿は教会から消えていきます。それには様々な理由があるでしょうが、それを見てきた私は、ずいぶん前からその秘跡を受ける時期を伸ばした方が賢明ではないかという結論に至っています。日本の場合はせっかく「成人式」という祝いがあるから、それに合わせて堅信の秘跡を考えることが望ましいことであるのかもしれません。しかし、“そのようにすれば堅信の秘跡を受ける人の人数は急に極端に減ってしまう”“若者を集めることは困難なことになる”などの理由で、いくらその秘跡を受ける時期について検討すればと依頼しても、真剣に取り組んでいただくことは今まで門前払いされてきました。それは習慣に対するこだわり、新しい試みに対する抵抗、想像力の乏しさ、場合によって怠慢のしるしではないでしょうか。21世紀の教会の中で働き、その中で私たちを導いている神(聖霊)に対する音痴のしるしではないでしょうか。
 神の働きを見る目を自分の内に養い育て、神の導きに気付き、そしてそれに従う、つまり生活の中でイエス−キリストを証しすること、堅信の秘跡に臨む今の中学生にそれを理解することを求めることは無理なことではないかと思います。もちろん少年少女の心の中で神が働いておられ、授けられる秘跡の力をも信じていますが、本人の自覚なしに何が生まれるのでしょうか。秘跡は魔法の世界ではありません。堅信の秘跡を受けてから、どうして少年少女は教会から遠ざかっていくのでしょうか。どうしてもその疑問が頭から離れません。私たちの考え方ややり方の改革は必要なのでは?
 *聖霊の働きといえば、つい最近自分の目でそれを見ることが出来ました。数年前の北九州地区の信徒協主催の研修会で、聖体について話すことを依頼され、質疑応答の時に一人の方から攻撃的な発言を受けました。“私は絶対に信徒からご聖体を受けません。特に女性からね”と。ところが、10月18日、福岡のカテドラルで行われた司教による聖体奉仕者の任命式の時に、その方は聖体奉仕者として任命されました。その方に挨拶して、笑いながら2〜3年前のことを思い出させたところ、その方も笑いながら次のことをおっしゃいました。“今思えばずいぶん失礼なことを言いました。その時に説明されたことに対して反発を感じましたが、後で考え直して回心しました。本当にありがとう。”と。その方は女性です...。
 *11月13日、黒崎にあるキリストの共同体として私たちは中学生を囲み、祈りの内に包むように心掛けるのですが、その少年少女は神(聖霊)の働きを見る目を自分たちの中で養い育て、神(聖霊)の導きに気付き、従うことが出来るように特に祈りたいと思います。
2005年11月号
ベリオン・ルイ神父

目玉商品(No.122)

 ディスカウント・ストアなどや大規模な商店でよく売れる商品は、レジ前に並ぶお客さんの目の前に置かれている商品だそうです。商品自体はそれ程魅力あるものではなくても、つい買ってしまうようです。
 売り上げを伸ばす知恵は広告にもあります。安売りの広告に大きく取り上げられる目玉商品は、店の期待通りの効果を発揮します。この商品を求めて来るお客さんは、その目玉商品の魅力にひかれてその店に来るわけですが、お客さんたちはその目玉商品だけを買うわけでは決してなく、必ず別の商品も買っていってくれます。
 
 目玉商品。すなわち海老でお客さんである鯛を釣るわけです。
 そのたとえは、続く話に適切に当てはまるとは限りませんが、つい頭に浮かんできたからそのまま導入として書かせていただきました。
 余程のことがない限り、皆さん一人ひとりと話す機会を設けることは、私にはなかなか難しいことです。聖書の分ち合いを始め、色々な形で教会の生活に直接に関わる方々であれば、ある程度お付き合いをすることが出来るのですが、主日の感謝の祭儀にしか参加できない方々、様々な理由で教会に足を運ぶことの出来ない方々と接することは稀なことです。だから皆さんに声をかけるつもりで毎月の「一言」を書くように励んでいます。その声が届くでしょうか。その声は皆さんの心の中にどのように響くのでしょうか。最近、その一言は長くなる傾向にあり、なんとなく“説教”の色に染まってきたように自分でも感じます。一人でその「一言」を考え、書く時間も限られているから、どうしても狭い視野をもった、大した「一言」にならないことをよく承知しています。
 それにしても、それを通して私たち黒崎教会は、一つの家族、イエス−キリストの家族であることを少しでも感じることが出来れば、誠に嬉しく思います。
 −家族と言えば、聖家族の集いを思い起こします。今年はその集いが16日行われ、その集いは、人に声をかけ、人と語り合う機会であり、又、人に協力するチャンスでもあります。“私は興味ない”“私は他にすることがある”“自分の家庭の事情では無理だ”などの考えがあるでしょうが、この地域のイエス−キリストの家族は、皆のことを指しており、一人ひとりの参加、努力、協力なしに家族にならないことをも考えていただければと思います。
 今まで参加しなかった、出来なかった方々、今年はいかがでしょうか。
 イスラエルの民の信仰を受け継いでイエスは私たちに「隣人」を愛することを命じました。イエス−キリストを中心とした家族に入っている人は、自分に最も身近にある「隣人」であることを、時々私たちは忘れているのではないかと感じます。
「聖家族の集い」「聖家族誌」その中の「一言」を通して、目玉商品である「隣人」にもっと目をとめるように努力すれば、きっと私たちの共同体は「聖」家族を築き上げることが出来るでしょう。
*「一言」について意見を寄せていただければ有難い道しるべになります。もっとうまい話をしたいからではなく、私たちは一つの家族であることをもっと味わせ実感させることが出来るためです。
2005年10月号
ベリオン・ルイ神父

見張りの使命(No.121)

 2005年の平和旬間にあたって日本司教団が発表した「戦後60年平和メッセージ」のサブ・テーマは、“今こそ預言者としての役割を”となっています。そして、メッセージの中で、戦後50年に司教団が「平和への決意」の中で書いた文章は再び引用されました。“戦前から戦中にかけて、日本のカトリック教会が尊い命を守るために、神のみ心にそって果たさなければならない預言者的な役割についての適切な認識に欠けていたことを認め、神と戦争によって苦しみを受けた多くの人々に対して赦しを願います”と。その預言者的な役割を、聖書が好んで「見張りの使命」と呼んでいます。
 私はヨーロッパ人だからでしょうか、よくわかりませんが、ナチスの台頭していた時代を強く意識しています。彼らの狂気の人種政策は、まず、どうしてもこの世から消さなければならない人種、ユダヤ人を対象として始められました。
 −私はユダヤ人ではないので、私には関係ないと自分自身に言い聞かせて黙っていました。次にナチスの手にかかったのは黒人でした。
 −私は黒人ではないので、ここでも自分には関係ないと言い聞かせて黙っていました。次に狩りの対象にされてしまったのはジプシーや同性愛の人々でした。
 −幸いなことに、私はジプシーでもなく、同性愛者でもないので、またしても自分には関係ないと言い聞かせて黙っていました。
 ところがある日、軍靴の音が私の家の前で止まり、“お前は非協力者、非国民だ”と言われ、連れて行かれてしまいました。イソップ物語のような話ですが、第二次世界大戦中にヨーロッパ中、しばしば見られた光景でした。ここで言う「私」とは、赤ん坊だった自分のことではなく、狩られる立場にならないと思い込み、沈黙を守った多くの人々を指しています。当時の社会は異常な状態の中に置かれていたので、一概にこの人を責めようとは思っていませんが、そのような時だったからこそ、イエス−キリストへの信仰の実践が必要だったことを認めるべきです。教会の指導者を含めて、見て見ぬ振りをしてしまった人々が多かったことは事実です。その人々はナチスの横暴を許し、結果的に、間接的に、それに協力してしまったのです。このようなことは人類の歴史の中に何回も繰り返されたことを、皆さんもご存知の通りです。その凄まじい事実から私たちが学び、神の見張りになろうとしているでしょうか。
 「人の子よ、私はあなたをイスラエルの家の見張りとした。あなたが私の口からの言葉を聞いたなら、私の警告を彼らに伝えねばならない」(エゼキエル33.7)とエゼキエルは神に言われました。見張り、歩哨の責任は重大で、仲間を救った場合は自分も救われる可能性がありますが、見張りとしての義務を果たさなかった場合、仲間と同様自分も殺され、助かったとしてもその重大な過失の責任を取らされることになります。「私が悪人に向かって“悪人よ、お前は必ず死なねばならない”と言う時、あなたが悪人に警告し、彼がその道から離れるように語らないなら、悪人は自分の罪のゆえに死んでも、血の責任を私はお前の手に求める」(エゼキエル33.8)と神はエゼキエルに注意を与えました。神の目から見て好ましくない行動をする人に対して黙ったり機嫌をとったりすると、その人と同時に、卑怯な人も共倒れすることになります。
 見張り(預言者)は見張りとして生まれるのではありません。見張りは、イエス−キリストへの信仰の内に、人生の体験と神の導きによって目が覚め、他人の目を覚ます使命感を抱いている人です。神から派遣され、侮辱にも嫌がらせにも、殉教にも負けないほどの熱意と愛に満たされた人です。見張りとしての責任を果たさない人は、イエス−キリストへの信仰の上で欠陥者であることを自覚すべきでしょう。
 しょっちゅう眠ってしまう見張りの私は、甘い夢をよく見ているのですが、目覚めは苦しいものになるのかもしれません。
2005年9月号
ベリオン・ルイ神父

“平和の職人”になろう(No.120)

 「平和を実現する人々−“平和の職人”−は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5.9)
 文章を引っ繰り返せば、「平和を実現しない人々は不幸である。その人たちは神の子と呼ばれない」ということになることを、もっと意識する必要があるのではと思う時があります。
 今年も8月6日(土)から15日(月)まで、日本カトリック平和旬間が行われます。1981年故教皇ヨハネ・パウロ2世が広島で発表した“平和アピール”に由来している平和旬間は、今年で23回目を迎えます。
 23回目だから、平和に対する私たちの意識が高く、共同体の生活の中で、平和のために祈り、学び、行動することの是非が深く浸透しているでしょう。(…皮肉のように聞こえる方がいるでしょうか。)
 8月7日(日)小倉教会で行われる北九州地区の“平和の集い”に向かって、7月3日の子供たちを中心にした感謝の祭儀をもって、私たちの共同体は歩み始めました。一日のイベントでものが“片付けられない”ために、子供も大人も早くから準備に入り、せめて主日毎に、共に平和について考え、平和のために祈り、行動するように心がけてきました。世界の平和、平和の世界の実現は、私たち一人一人次第であることが新たに確認されたでしょうか。
 4月29日(金)菊地恵楓園に行き、久しぶりに何人かのハンセン病を患ったことのある方々に会いました。その時に、彼ら、彼女らが体験したことは、人と人、人種と人種、民族と民族、国家と国家の関係の「原型」として私の目に映りました。つい最近まで人の無知、偏見、恐怖心が“法律”によって正当化され、被害者だった人々が“法律”によって危険な存在と定められ、不幸な病人だった人々が“法律”によって犯罪者扱いされ、名前まで奪われてしまいました。現在はどうかといえば、ハンセン病を患ったことがある方々がおとなしく振舞えば“憐れみ”の的になるでしょうが、自分たちの人権が尊重されるよう訴えようとすれば、いつのまにか“嫌がらせ”の的になってしまいます。 − 隔離され、収容され、人間として生きる権利が根拠のない理由で奪われたハンセン病元患者。それを可能にした“法律”を作った政治家、それを執行した役人、それを黙認した国民。
 平和を妨げ、平和を築き上げるのに邪魔になることはすべて、ハンセン病を患った方々に対する人の態度や国の対策の中に反映されているような気がしてなりません。そしてそれは、故教皇ヨハネ・パウロ2世の「戦争は人間の仕業である」という言葉にこだまするかのように感じます。同時に聖書の始めに記載されている物語にある会話が頭に浮かんできます。“主はカインに言われた。「お前の弟アベルはどこにいるのか。」カインは答えた。「知りません。私は弟の番人でしょうか。」主は言われた。「何ということをしたのか。お前の弟の血が土の中から私に向かって叫んでいる。」”(創世記4.9−10)と。
 今年の日本カトリック平和旬間にあたって、今日(こんにち)のイエスの声である司教たちのメッセージに耳を傾け、“善意ある人々”と共に平和について学び、平和のために祈り、平和を実現するために行動しましょう。“神の子”と呼ばれたいのなら。
2005年8月号
ベリオン・ルイ神父

宗教嫌い?(2)(No.119)

 “贈り物”とそれを“包装”しているものを、同一のものとして見ることは賢明なことでしょうか。
 その疑問に対する答えは人によって違うでしょうが、せめて議論の余地があることを認めていただければと思います。
 
 イエスの弟子たちの頭には、新しい「宗教」を作るという考えは毛頭なかったようです。メシアであるイエスを信じることによって、イスラエルの信仰は完成を迎えたと考えたようです。ところがイエスの福音がもたらしてきた“新しさ”のために、誕生したばかりのイエスの共同体は、様々で、大きな問題にぶつかり、危機にまで直面しました。(使徒言行録15.1−2)泉の水が涸れるように、ユダヤ教から新しい共同体に入る人の人数が減ってしまったのはその一つです。次第に様々な反対に会い、特にユダヤ教から正式に排斥された時(−世紀の終り−ヨハネ9.22)、イエスの弟子たちはある意味で仕方なく自分たちのグループを組織し、“キリスト教”という「宗教」は誕生しました。その勢いで、時と共に様々な文化の中で、教会は明白に独特な宗教団体となり、組織を固め、教義を定め、法律を決め、儀式も固定されてきました。
 −言うまでもありませんが、今の“要約”は単純過ぎて、“キリスト教”という「宗教」の歴史を忠実に正確に反映しているとは思っていませんが、どうして時と場合によってイエスの姿がかすみ、福音の本来の光が「升の下に置かれ」(マタイ5.15)隠されたか、どうして二千年の歴史の間、時には「光」が「陰」に汚染されたかという一つの要因は、そこにあることを否定することが出来ないと思います。
 教会は人間の世界でもあるから、きっとそれを避けることが不可能なことだったでしょうし、確かに教会には組織も教義も法律も儀式も必要です。しかし、どうして、何のためにそれが存在しているか、その目的は何なのか、それを忘れないように心掛けることは、非常に大切なことです。いくらイエスの名を借りても、いくらイエスの名において振舞っても、イエスを模範にしてイエスに倣って生きていこうとしなければ、人の目にはイエスの姿が映らないでしょうし、イエス-キリストへの信仰の呼びかけにもならないでしょう。
 “贈り物”とそれを“包装”しているものを混同することは適切なことでしょうか。
 時々思うのですが、私たちは肝に銘じてもっとイエスの次の言葉に耳を傾けなければなりません。   
 「イザヤはあなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。“この民は口先では私を敬うが、その心は私から遠く離れている。人間の戒めを教えとして教え、むなしく私をあがめる。”(イザヤ29.13)あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。あなたたちは自分の言い伝えを大事にして、よくも神の掟をないがしろにしたものである」と。(マルコ7.6−9)
 掛け替えのない“贈り物”であるイエスと福音を中心にして考え行動すると、初めてその“包装紙”である“キリスト教”という「宗教」はそれに相応しいものになると確信しています。しつこいようですが、私は西欧の「宗教」を広めるために司祭になり、日本まで来たのではありません。飽くまでも、イエス-キリストと福音を伝え、証しするためです。
 ―天気の悪い朝の目覚めが生んだ独り言でしょうか…。
2005年7月号
ベリオン・ルイ神父

宗教嫌い?(1)(No.118)

 “私は「宗教」に興味がありません。西欧の「宗教」を広めるために司祭になり、日本まで来たのではありません。”
 人の反応を引き起こすために、初めて、わざと、その極端な言い方をした時に、聞いていた方々の様子を注意深くうかがいました。呆気に取られた様子から顔をしかめる表情まで、口を開けて不平を言いたそうな様子から関心がそそられ輝く瞳まで、実に様々でした。
もちろん、その挑発的な発言をよく説明をしなければ、人の理解を得ることが出来ないのは承知の上です。しかしそれを機会にして、非常に大切なことについて真剣に考えることが出来るのではと思います。
 私は「宗教」というものを、好んで、“贈り物”を包んでいる“包装紙”にたとえています。「宗教」はある“信仰”をまとめ、伝え、証しするための形、手段だと思います。それをよく把握しなければ、そこに落とし穴が潜んでいるかもしれません。自分の「宗教」を他の「宗教」と比較し、その違いからどちらが本物かと考えがちになり、無意識のうちにも「宗教」の間に上下、ランクを付けてしまいます。そのために多くの人々が不愉快な思いをし、人の間で不信が広がり、不理解が増し、対立が生じ、下手をすればそれは争いにまで発展してしまいます。人類に奉仕し、貢献するどころか、「宗教」は敵対の種となり、戦いの材料になりかねません。
 “キリスト教”という「宗教」に話を絞りましょう。
 稀な例ですが、“教会から連絡をすることをやめてください。迷惑です。教会と関わりたくない”と激しく表明した方の話です。後にその方は不幸があって、教会での葬儀を求めに来ました。その家族の状態を配慮して、ミサを伴わない葬儀典礼を勧めたところ、“ミサをしてもらわなければ、仏教のお坊さんにお願いするよ”と言われました。唖然とした私は思いました。“その方は「宗教」がデパートのように客の奪い合いでもしていると思っているのか?”と。言うまでもありませんが、私は人を裁くつもりはないし、人が改心することが出来ることを信じているのですが、そのような方々にとって「宗教」とは何ですか。「宗教」と「信仰」との関係をどのように理解しているか。イエス-キリストへの信仰の内の交わりはどうなっているのでしょうか。司祭をどんな目で見ているのか。(宗教屋?)
 ―教会に姿を見せず、聖書の言葉と教会が求めていることに関心を示さず、司祭の召命について考えたこともない方々は、どうして、例えば葬儀のためにのみ、教会へ足を運んでいるのでしょうか。教会は自分の「信仰」を危ういものにしてまで無条件に“儀式”をこなして、人の言いなりになっていいのでしょうか。
 それに似通った例はいくらでもあることを皆さんもご存知のことです。それについて真剣に考える必要があると思いませんか。
下五島へ巡礼に行き(5月2日〜4日)、久賀島の牢屋の窄殉教記念聖堂で感謝の祭儀を捧げた時に新たに思いました。日本で殉教した大勢のキリスト者は西欧の「宗教」のために命を捧げたのでしょうか。それともイエス-キリストへの信仰を証しするために命を委ねたのでしょうか。
 今日(こんにち)、時には“包装紙”は“贈り物”の不在を隠しているのではないでしょうか。
 
 いずれにしても、“贈り物”とそれを“包装”しているものを同一のものとして見ることは賢明なことでしょうか。
2005年6月号
ベリオン・ルイ神父

聖体の年にあたって(No.117)

 4月号の“一言”の中で、“不思議な団体”である教会についてお話しましたが、今月はその共同体の生活の「泉と頂点」である聖体について“一言”を書きたいと思います。
 皆さんもご存知のように、全世界の教会のために、今年は「聖体の年」と定められました。又、5月29日に私たちは「キリストの聖体」の主日を迎えています。それを契機にして、「聖体」に対する理解を深めてはと思います。もちろんすでに皆さんもよくご存知のことと思いますが、場合によって確認することは無駄なことではありません。聖木曜日、最後の晩餐の記念の感謝の祭儀においてお話ししたことを中心に話をすすめたいと思います。
 イエスの一生において、もっともドラマチックな時が来ていました。ご自身が“選び”、“友”にした人たちから引き離される時でした。当然のようにその時、イエスの口から出る言葉、イエスが見せる態度は、今までにない計り知れない重みを持っています。それを通してイエスはご自身の一生の使命の本質を残し、弟子たちの頭と心にそれを深く刻もうとしました。マタイ・マルコ・ルカによる福音書が、最後の晩餐の席でのイエスによる「聖体の制定」の話を書き残しましたが、それはすでに教会の中でよく知られていたからでしょうが、ずっと後で書かれた福音書の中で、ヨハネはその歴史的なことよりも、それが意味していることを強調するために、他の福音書に記録されなかった“弟子たちの足を洗うイエス”のエピソードをはさみました。
* イエスは、人間の姿で現れた神であり、神の子であるにもかかわらず、人類を救うために奴隷の状態にまで遜りました。そして、「私があなた方にした通り、あなた方もするようにと模範を示したのである」(ヨハネ13.15)とおっしゃいました。
― 人は、よく神の御前でひざまずくのですが、イエスのうちに神は人の前でひざまずいたことの意味を、どこまで私たちは理解しているでしょうか。
― 人は目を見上げて神を見ようとしているのですが、イエスを通して人の足を洗う神を見るためには目を下へ向けなければならないことを、どこまで私たちは認識しているでしょうか。
― 「仕える神」。―
 
* ヨハネは、最後の晩餐における「聖体の制定」に直接に触れなかった理由がもう一つあります。それは、ヨハネがすでに6章の中で聖体の意味について長く説明をしたからです。数千人の人々を満腹させた後、イエスは、人を満たすのはご自身であることをおっしゃっています。その時にイエスは、ご自分を食べるようにと切に求めています。興味深いことですが、その時にヨハネは普通の意味での“食べる”という言葉を使っていません。いくぶん低俗な響きを持った言葉、「餌を食べる動物」に使われていた言葉を使っています。「かじる、音をたてて食べる」を意味している言葉です。
 
 それを通してイエスは、“よく消化するために”“よく味わうために”ご自身をゆっくりと“かむ”ことを求めています。いっぺんに飲み込むこととは違います。それによってイエスは私たちの糧となり、私たちはイエスによって養われ、イエスと一致し、イエスの命で生きることが出来ます。私たちの糧になることによって、イエスは、まさに私たちに“仕えよう”としています。イエスを“食べる”ということは、イエスの言葉と生き方を理解し、イエスと一致し、つまり仕える精神で生きることを意味しています。イエスを糧にして、よく消化し、味わおうとすれば、本当にイエスと一致し、イエスに倣って仕える精神に生きることが出来るはずです。ヨハネが暗示しているように、「聖体拝領」と「仕える精神」を切り離して考えれば、いくら聖体を拝領したとしても、イエスとの本当の意味での一致は実現しませんし、他の人との一致も生まれてきません。ただパンをいただいたことで終わってしまいます。
 私たちの共同体は感謝のうちに仕える精神に生き、イエスの命に養われ、一致を目指す共同体となることを心から祈ります。
2005年5月号
ベリオン・ルイ神父

不思議な“団体”(No.116)

 人の団体は、その数も、その種類も、その性質も、多種多様です。労働者は自分たちの権利を守るために組合を作ります。会社同士で利益を求めて合併します。同じ市民が力を合わせてより住みやすい社会を目指しています。同窓会、合唱団、組合、政治、宗教、スポーツ、旅行、研究などの団体があります。
 *ところが、一風変わった“団体”があります。その“団体”には女性も男性も、赤ちゃんも人生の黄昏を迎えている人も、健康な人も病気の人も、無学な人も学者も、雇い主も労働者も、一緒になっています。その“団体”は会合を開くと、やり手の社会人も、無口の人も、頑固な人も、柔和な人も、理屈っぽい人も、平等な立場で発言するので、能率が上がるとは言えません。その“団体”は組織としてもともとルーズなところがあり、また強い人には戒律を守らせる力がないため、計画を立てるのが場合によって簡単なことではありません。
 
 にもかかわらず、この“団体”は二千年も前から存在し、現在、全世界のほとんどの国で芽を出しています。つながりは戒律と掟よりも「イエス」という人物なのだから、実に不思議な“団体”です。仲間を赦さなければ、「イエス」の祈りを唱えることが出来ず、お互いに「イエス」の手足となり、「イエス」の命のうちに交わるから、一致を常に目指すことが要求される不思議な“団体”です。
−それは私たちの教会です−
「教会」という言葉は、ギリシャ語のエクレジアを翻訳しています。もともとイスラエルの民の中で、ヘブライ語で、その言葉は“集い”を意味し、言葉のひろがりによって集う人々、共同体を言い表すようになりました。集う人々は神によって呼び集められているから、お互いを選んで集まっているのではありません。教会は仲良しのクラブではありません。又、同じ神に呼ばれているから、お互いの関係が平等であり、権利を主張することどころか人に奉仕することを理想にしているため、自意識過剰が対立と分裂の種に成りかねません。先程書いたように、その“集い”には、人種や国籍を含めて“違った”人々ばかりが加わっています。教会の中でその“違い”が消されるのではありません。人々はその“違い”を踏まえて、お互いに話し合い、理解し合い、尊敬し合い、ゆずり合い、助け合い、赦し合うことによって、イエス−キリストによる豊かな共同体を築き上げようとしています。そしてそれは、“しるし”となり、社会、世界のなかで神の国の誕生に協力しようとしています。
*難しい? 当たり前です。簡単なことなら、イエスは十字架の上で人類のために命を捧げたはずがありません。 不可能? いいえ。イエスの次の言葉を忘れなければ。「私を離れてはあなたがたは何も出来ない。」(ヨハネ15.5)と。
*お互いの“違い”を不愉快に思わず、それを受け入れ、その“違い”を乗り越えることによって、イエスのうちに皆が豊かになることを目指す共同体、それは黒崎教会“聖家族”の共同体のための私の夢です。
 虹を一色に塗り替えないようにと、それは私の祈りです。
2005年4月号
ベリオン・ルイ神父