イエスの誕生:希望の灯り(No.100)
絶望する人は、真っ暗な世界に沈んでしまいます。
希望なしに人は、生きることが出来ません。
希望なしに人は、幸せを味わうことが出来ません。
それは、人間に限られたことではないようです。
イエスの誕生は、そのことを明白に教えていると思います。神も希望なしに生きておられないのです。
今年、黒崎教会は「希望の灯り」という観点から見て、イエスの誕生を祝おうとしています。
-希望の灯り-
それは、愛のもう一つの呼び名ではないでしょうか。
神と人類との関係を描いている、神とイスラエルの民との関わり合いは、失望から希望への繰り返しの歴史であり、一風変わった言い方をすれば、失恋から恋愛への連続物語だと言えるでしょう。聖書を読むと分かるように、神ほど“失恋”の経験をした方はいないでしょう。しかし、神ほどそれに失望せず、いつも希望を抱き、愛し続けた方もいません。
イエスの誕生は、まさにそれを見事なほど語っていると思います。私達にとって、希望の灯りと言うものは、“失恋”しても愛し続けることを諦めない、神の心にあるのではないでしょうか。
神ご自身は、私達の一人となり、どれほど私達を愛しているかを、命をかけて表そうとしたのです。イエスの一生は、十字架の上で終わったのですが、それは絶望ではなく、果てしのない希望につながりました。
復活して、生きて現れたイエスは、愛が裏切りに打ち勝ち、愛だけが希望をもたらすことを教えました。イエスを通して、神による救いはそれなのです。もちろん、信仰なしにそれを受け入れることは出来ないのですが、私達の心の中に潜んでいる疑問に対して、神からの言葉は希望の灯りになるのです。その光に照らされ、その火に暖められる心は、いくら失望の闇に沈んだとしても、完全に希望を失うことが出来ません。
「クリスマスおめでとう」という挨拶を交わす時、私達一人一人は、すべての人が希望の灯りを心の中にとどめることができるように、と祈りたいものです。
2003年12月
ベリオン・ルイ神父
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